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言語学(主に日本語文法史)の論文を読みます

鴻野知暁(2012.3)助詞コソの文末における一用法

鴻野知暁(2012.3)「助詞コソの文末における一用法」『言語情報科学』10

要点

  • 終止位置におけるコソについて、以下のことを示す
    • 上代に文の中間で用いられていたコソが、中古に文末の述語内部にも生起し、
    • それに伴い、ニコソアレが頻繁に使われるようになり、それを下地としてアレの省略・ニの脱落によって生じた

文末のコソ

  • 「~ハ~連体形+コソ」
    • かく何事も、まだ変はらぬけしきながら、限りのさまはしるかしけるこそ(源氏)
    • 「最期であることははっきりしているのです」などと解され、已然形述語の省略とは捉えられない
    • 限りのさまはしるかしける≒限りのさまはしるかしけるこそ であり、終助詞的であるとも捉えられる
  • これらの例は上代にはなく、中古以降に見られる
    • 平安中期頃から見られるもので、10C半ばまでの資料には見られない
    • うつほは後編に偏る
    • 和歌には見られない
  • 諸本間で異文が見られる例のパターンを整理すると、全てNコソが述語的表現になっている
    • Nニコソ
    • Nコソアレ
    • 助詞による終止
    • その他の文終止(終止形終止、已然形など)
  • 機能を考えたとき、
    • 体言コソの場合、体言ナリ・体言ゾのようなコピュラ文の述語相当
    • 連体コソの場合、連体ニコソ(アレ)に近い解釈を受けていたことを考えると、「文末において強い調子で言い定める働きを持つ」ものか
    • 体言コソより連体コソの方が用例が多いのは、体言コソは(体言ナリ・体言ニコソアレのようなナリを含む形式とは異なり)述語であることが見かけ上分からず、述語形式として好まれなかったためか
    • 一方で連体コソは用言の述語性によって文末述語として安定しやすく、連体コソ→用言述語+終助詞のように再分析されたものとも考えられる

発生と展開

  • Nニコソアレ→Nコソアレ→Nコソ を想定、以下詳述
  • NナリとNニコソアレ(Nニアリ+コソ)について
    • 体言ナリは、上代においてナリ・ニアリ併存、中古ではナリが一般的
    • 体言ニコソアレは上代にはほとんど見られない
    • 連体ナリは上代になく、中古に活発に
    • 連体ニコソアレは上代にごく少数、中古に漸増
    • すなわち、連体ナリ・ニコソアレは、体言ナリ・ニコソアレより遅れて増加したもので、特にニコソアレは時代が下るとともに好んで使用された
  • コソの出現位置について、
    • 上代では主部や条件句に後接する例が多数だが、
    • 中古に入ると述語内部にコソが多く現れるようになる
    • ニコソアレの多用は、この「コソの述語内部への進出」の一端として捉え直される
  • ニが脱落したNコソアレはそれほど多く見られない
    • が、異同箇所を見るとNニコソアレとの異同があり、書写意識としてはNコソアレとNニコソアレが同等に解されていたものか
    • ただし、単にニの脱落とはみなすことができず(NアリはNニアリと同等の解釈にはならない)、
    • ニヤアラン→ヤランについての山口(1990)は「係助詞の提示性が直前に位置する格助詞を脱落させる」ことを示し、これに準じて考えることができる
  • ニヤアラン→ヤランの成立事情として中世における連体ナリへの係助詞介入例の増加が挙げられるが、これはコソの事例と併せて考えると、上代~中古~中世と下るにつれて「係助詞の連体ナリへの介入が増加の一途をたどった」ことを示すもの
    • 係り結びにおいて、係り句VS結び句の対立が弱化していく過程に位置付けられる
    • ニコソアルナレ→ゴサンナレ、ニコソアルメレ→ゴサンメレも同様

雑記

  • よいお年を~