仁科明(2007.7)「「終止なり」の上代と中古:体系変化と成員」青木博史編『日本語の構造変化と文法化』ひつじ書房
要点
- 終止ナリの上代から中古への変容について
問題
- 終止ナリは上代と中古で断絶するが、この連続性をどう考えるか
- 終止ナリに対応する形式として、上代のミユ、中古のメリがあり、ミユ→メリへの変化を論ずるものとも言える
- 連続性のみが強調されることが多いが、「断続と連続を意識しつつ、それらが意味するところについて見通しを示す」ことが必要
事実
上代
- 上代の終止ナリの用法は大半が感覚的描写が占める
- その他の特徴として、
- 終止法に偏るものの、非終止法も見られ、量はに意味の差がない
- 「助動詞の相互承接の枠からはみ出している」とされるように、他の複語尾から分出されず、分出もしない
- 終止形接続のラシ・ラム・ベシはラ変では連体形「あるべし」で分出されるが、終止ナリはラ変にも「ありなり」となる(終止形分出の徹底)
- カ・ヤの結びになることがなく、疑問文化することができない。「ず」を分出しないこととあわせて、疑問も否定もできない
中古
- 中古の終止ナリには、上代から引き継いだAと、新たに獲得した用法がある
- A 感覚的描写:よく嗚る琴をあづまに調べて掻き合はせ賑はしく弾きなすなり。
- b 看取(感覚したことに基づく、直接知覚しにくい事態についての判断)
- そなたの蔀上げさせて、見出したまへるに、鐘の声かすかに響きて、明けぬなり、と聞こゆるほどに、
- 抽象度の高い一般論への推論は表さない
- そなたの蔀上げさせて、見出したまへるに、鐘の声かすかに響きて、明けぬなり、と聞こゆるほどに、
- c 不確かな判断
- c1 伝聞(不確かな現状描写の一環と見る):みな聞きてはべり。尚侍になるべかなり。
- c2 印象・評価:独りものすらんこそなかなか心やすかなれ。
- 事態内容や事態内容に基づく判断を話者の印象として提示しているとみられる例
- その他の特徴として(上代と対照する形で)、
- 連体法・準体法は伝聞に偏る
- タリ・ヌ・ズ・ベシ・マジ+終止ナリ、終止ナリ+ツ・キの例がある
- ラ変からの分出は撥音形で、ベシも「あべし」のように熟合して現れるので、「他の終止形分出複語尾との違いは相対的なものになった」と考えられる
- 疑問文・否定文との関わりは上代と同様
解釈
- 上代における複語尾による「出来事の位置付け方」は、活用形と密接に関わる
- 連用形は、大きく完了した「現実性」にかかわる側
- 未然形は、非現実性事態にかかわる側
- 終止形は、現在で未確認(ラシ・ラム)、未来及び可能性(ベシ)など、連用形・未然形で表しにくい領域
- 無標の終止形・連体形は、動きの「名札性」があり、運動概念のみを表す形式で、積極的な性格を持たない
- 一方で、運動動詞終止形は具体的事実の描写の用法(定述語性)も持つ
- 存在動詞終止形の場合、名札性が連体形、定述語性に分担されている
- 名札性:ある+ラシ・ラム・ベシ
- 定述語性:終止形が連用形(現実系複語尾の分出形態)と同一
- この中で終止ナリの位置付けを考えると、
- 同じ終止形分出でも、終止ナリ・ミユは、連用形と未然形の領域の隙間を埋めるラシ・ラム・ベシとは異なる位置付けになる
- 終止ナリ・ミユの大半を占める感覚描写用法は、終止形述語の定述語的用法に極めて近く、これを「不確かさ」として表現する形式が終止ナリ・ミユであった
- ミユが視覚によって捉えられた事態を表し、終止ナリはそれ以外の知覚によるもの
- 終止形述語の用法の二側面、名札性にはラシ・ラムベシが、定述語性にミユ・終止ナリが関わっているとみられる
- これが中古に至ると、
- 感覚描写の「事態が感覚によって捉えられる」ことの範囲は容易に拡張し、看取の用法を生じる
- 判断の「私の判断である」ことが前面に出ると、不確かな判断を表すようになる
- 終止ナリ・ミユは特殊性を喪失し、ラシ・ラム・ベシと同様の性質へと移行
体系変化の要因
- ここまでをまとめると、上代では終止形の定述語用法と対立しつつ、表しにくい部分を補ったものが、中古に至って連用形~未然形の中間領域へと位置付けを変えた、ということ
- 中古におけるラシの古語化にその要因を求める
- ラシは手持ちの事態からの推論、伝聞を表したが、終止ナリ・メリによって覆われる
- 上代から中古にかけてラシが古語化したところに、終止ナリが拡張した
- ただし、同じ性質を帯びることによってラシの空間が埋められたのではなく、終止ナリはあくまでも、拡張可能性に従う範囲で拡張を起こしている
- 感覚的描写はラシにはない
- 看取用法にも、終止ナリ単独では表せないものがある
- 終止ナリの伝聞は不確かな断定の一種で、ラシとは伝聞を表す理路が異なる
雑記
- さよなら2018年、とか思っていたけど講義の準備が全然終わっていなかった