竹内史郎(2008.3)「助詞シの格助詞性について:非動作格性と品詞分類」『語学と文学(群馬大学)』44
竹内(2008)の続き、助詞シの振る舞いについて、同じように活格性の下で理解できることを主張する
上代のシと中古のシ
- 特に体言シ、シ+係助詞の、名詞句を標示するシのふるまいを考える
- 上代ではシはほとんど主節もしくはバ節内に現れ、中古に至るとバ節にしか見られなくなる
- 主節の場合(大和し思ほゆ:1776)、
- 非行為性の自動詞文の主語、感情形容詞文の対象語、属性形容詞文の主語、他動詞の目的語など、対象標示の例が多い
- これは、助詞シが動作主を標示しにくく、非動作主格性を持つことを示す
- なお、シがラシと共起する場合には標示域に制限がないが、これはラシによって述部が状態性を保つことによるもの(ビールが飲みたい、なまこが食べれる)
- バ節の場合、
- 他動詞文の主語、行為性の自動詞文の主語にも現れ、主節に見られた制限がない
- 我が背子し遂げむと言はば(539)
- 他動詞文の主語、行為性の自動詞文の主語にも現れ、主節に見られた制限がない
- 中古にバ節内にしか見られなくなるが、これは、主節のシがなくなることであって、中央方言の格標示体系が非動作格性を失うということ
- 竹内(2008)は、活格性→対格性の移行を、イやヲの標示域の縮小に基づいて述べる
- シも同様、対格性を高めていく現象と見ることができる
- バ節のシが中古まで残るのは、格標示体系が経た変化とは無関係であるから
シの品詞
- 川端は一律に係助詞、此島は一律に間投助詞とする
- 近藤泰弘のヲの分類のごとく、格助詞の生起する環境であれば格助詞、そうでなければ間投助詞と考えてもよいのではないか
- 泣くをも置きて(481) / ここに近くを来鳴きてよ(4438)
- 関守い留めてむかも(545) / 花待つい間に嘆きつるかも(1359)
- 体言下接のシの例は格助詞にふさわしい環境に現れており、格助詞として認めてよい。理由4つ、
- 1 非動作格性が認められるのは格助詞にのみ認められる性質であり、
- 2 連体節内部に体言シが現れることもある(ヲの分類を援用)
- 3 体言シは連体節・テ節・連用節内部にも現れるが、述語にかかるシはそこには現れない。これは品詞性の反映である
- 4 上代ガ・ノ・ヲは出現に特定の条件があり、格助詞以外の環境でも使われるが、イ・シにも当てはまる
- なお、シの非動作格性が節の種類によって現れたり現れなかったりする(主節に限って活格性が現れる)ことは、類型論的に活格性が節に依存するものであるということを踏まえれば自然なことか
雑記
- 最悪ニュースだな