ronbun yomu

言語学(主に日本語文法史)の論文を読みます

栗田岳(2017.3)助詞ハの諸相

栗田岳(2017.3)「助詞ハの諸相」『萬葉』223

要点

  • 主題でないハが「非存在対象」の言語化であることに基づき、
  • ハの本質的性格を「言語上のものとして定位された対象を提示すること」と位置づける

問題

  • 文中の体言類+助詞ハによる主題の提示はあくまでもハの典型であって、本質ではない
  • 文中の体言類+ハ以外のハを検討することで、上代におけるハの主題以外の用法と主題の用法との関連から、本質的な性格を考えたい

ハ3種

  • 文末のハ
    • A 喚体句末の体言+ハモ・ハヤ
    • B 文末のク語法+ハ
  • 述語のハ
    • C 非主節の述語に相当する用言類(形容詞・ズ・テ形)+ハ

文末のハ

  • Aのハモ・ハヤともに、「言語主体の眼前に無い」対象を言語化する
    • 防人に立ちし朝明の金門出に手離れ惜しみ泣きし児らはも(万3569)
    • 嬢子の床の辺に我が置きしつるきの太刀その太刀はや(記33)
  • 未来(失われようとする対象)・過去のように時間が関与する場合もある
    • 問ひし君はも(過去・記24)
  • Bのク語法+ハも同様、未来に失われることになる対象を示す例 -妹が紐とくと結びて龍田山見渡す野邊のもみぢけらくは
  • 以上、AとBはいずれも「非存在対象」を言語化する文と考える
  • ハモ・ハヤをもう少し詳しく見ると、
    • 愛惜(時代別の解説)意外にも賞賛、希求の意があるが、これはいずれも「非存在対象の言語化」によって文脈上現れる意
    • ハモ・ハヤは、ハモが「連体修飾節+体言ハモ」を構成しやすいのに対して、ハヤは少ない
      • しかも、上接体言の繰り返しが多い
        • 御真木入日子はや(波夜)御真木入日子はや(波夜)己が命を盗み死せむと後つ戸よい行き違ひ前つ戸よい行き違ひ窺はく知らにと御真木入日子はや(波夜)(記24)
      • この点、いずれも喚体文ではあるものの、ハモは述体文に連続するが、ハヤは一語文に近い
        • ヤの呼びかけ的性格(野村2001)の反映か

述語+ハ

  • 連用形+ハとテ形+ハは性格が異なるので別立てで考える
  • C1 連用形+ハは仮定条件として了解されてきた
    • 助詞ハ全体の中での位置付けは行われておらず、体言+ハの主題性との関連付けも難しい
  • 形容詞が「なくは」に偏ることに注目する
    • 君なくは(無者)なぞ身装はむくしげなる黄楊の小櫛も取らむとも思はず(万1777)
    • 君来まさずは(万3282)/ま朱足らずは(万3841)もそれに通ずるもので、「ズに上接する対象の非存在」を意味する
    • 三諸の神の帯ばせる泊瀬川水脈し絶えずは(不断者)我忘らめや(万1770)
      • に至ると、「ズに上接する事態の非存在」となり、
    • かくばかり恋ひつつあらずは(不有者)高山の岩根しまきて死なましものを(万86)
      • が、いわゆる特殊語法のズハ(上接事態への不望の情意)
      • 言痛くは(万1343)もまた、言語主体にとっての望ましくない事態の仮定
    • まとめ、連用形ハは、ズハ・形容詞+ハともに、非存在から不望へという流れを持つ
  • C2 テハは、C1と逆の様相を持ち、仮定条件と解すべき例はない。対比的な性格であって、文中体言ハと同質
    • 冬ごもり春さり来れば…秋山の木の葉を見ては(而者)黄葉をば取りて(万16)
    • テ形の連用修飾性に由来するものか
    • なお、現代語の仮定条件テハには否定的含意が読み取られるが、これはC1の不望性に引かれるようにしてテハが仮定条件を構成するようになり、不望性をも帯びたものではないか

非存在対象と主題

  • A・B・C1は「非存在対象」とその延長上にあるが、「主題」とはどのように関わるか
  • 非存在対象は、主体にとってリアルでないために、認識の中で、言語として捉えるほかない
    • このときのハは、「対象が言語上のものとして定位されたことのマーカー」
    • わざわざ触れようとすることにも意味があるので、
      • A・Bのように終助詞的位置に現れると言語主体の情意が現れ、
      • C1のように従属節で仮定条件を作るのも、非存在を言語上に構成することによる
  • 主題は、言語化時点においてリアルな状況からは切り離されている(パンダは笹を食べる、は特定のパンダを指さない)
    • 認識の中で対象を構成するので、このハもやはり、対象を言語上のものとして定位すること
  • 以上より、ハは「言語上のものとして定位された対象を提示すること」という本質的な性格を持ち、現れ方の差異に応じて主題・非存在対象といった異なりを見せる

雑記

  • ここんとこ読んだやつの中で一番面白かった…