山口響史(2016.7)「テイタダクの成立と展開」『国語国文』85-7
要点
- 授受補助動詞テイタダクの成立と、テモラウの敬語形としての地位を確立するまでの過程について、
- 当初話し手起点だったイタダクが受け手起点の機能を獲得することでテモラウの敬語形となったことを示す
問題
- 現代語においてはテイタダクがテモラウの敬語形の地位を占めるが、由来としては別語形である
- 以下の2点を問題とする
イタダクとテイタダク
- 本動詞イタダクは上代からあり、授受の意味の日国の初例は大平記
- 現在と同じ意味のイタダクの意味になるのは1700年前後
- これは御前のお菓子、有難う戴きや(丹波与作待夜の小室節)
- 日葡では戴冠、盃を戴くの意のみで、18Cにおいてもその意は残るが、それを除けば「与え手を起点」とすることに特徴がある(例えば上例は行為指示)
- 受け手起点の例も少数あるが、状況的に授受が許可されている場合であり、与え手起点と連続する
- 19Cの例を、起点・対象物によって分類すると、以下の通り
- 与え手を起点とする例が多く、特に行為指示を受けた返答で、飲食物を対象とする例が多い
- もしあなたちとおあがり ハイおいたゞき(粋の曙)
- イタダク元来の「額に掲げるようなありがたい気持ち」が引き継がれている
- 受け手起点もあり、与え手にはない「暇」が飲食物に並んで多い
- 「ありがたい気持ち」を伴わない例があり、これはモラウに近い用法の萌芽か
- 与え手を起点とする例が多く、特に行為指示を受けた返答で、飲食物を対象とする例が多い
- テイタダクは、成立初期の近世後期においては本動詞イタダクの与え手起点に近い特徴を持つ
- おことばに。あまへまして左様致していたゞけば難有ぞんじ舛(毬唄三人娘)
- 一方、近世後期に見られるテオモライモウスは受け手起点が基本で、これがテモラウの敬語形である
- とうか左様してお買ひ申し度(春色玉襷)
- 明治・大正期のテイタダクは受け手起点の例が増加。テオモライモウスが担っていた領域をテイタダクが表すようになる
- 三越で造へて頂いた私の着物(落語速記・自動車の蒲団)
- オ~モウス自体も大正末以降に衰退
- テイタダクが依頼行為において使用される中で、配慮の対象が聞き手へとシフトし、対聞き手的敬語表現としての機能を強めたことによる
まとめ
- テイタダクの補助動詞化は、本動詞イタダクの授受の意味の確立による
- 統語的には成立初期からテモラウと同様の機能を有するが、意味的には明治・大正期にテオモライモウスの領域を獲得する形でテモラウの敬語形となる
- すなわち、テイタダクがテモラウの敬語形として採用されたのではなく、敬語形としての性質を備えるイタダクに授受の意味への変化が起こったことで、結果的にモラウ敬語形として採用された、と見る
雑記
- 千葉のホワイト餃子に行ってみたい…