岡﨑友子(2006.4)「感動詞・曖昧指示表現・否定対極表現について:ソ系(ソ・サ系列)指示詞再考」『日本語の研究』2-2
要点
- 文脈を照応しないソ系列指示詞の史的変化について、以下のようなソ系列の周辺的表現が、かつてはむしろ中心的な用法であったことを主張
- 否定対極:それほど~ない
- 曖昧指示:ちょっとそこまで、しかるべき
前提
- 前提として、発話者の心的領域の存在を仮定し、それを談話情報領域(一時的な記憶領域)と長期記憶領域(一般知識・エピソード記憶領域)に分類する
- 現代語のソ系は直示・照応、古代語のソ・サ系列は照応・観念用法を持つ
- 直示:現場で目に見える対象を指示
- 照応:談話情報領域内に一時的に格納される言語文脈を指示:「…」。先生はそう言うと、…
- 観念:エピソード記憶領域(直接経験)内の要素を指示(現代ではア系列のみ):昨日のあの刺身は最高だった
- 照応用法をさらに単純な照応と推論による照応に分けると、感動詞・曖昧指示・否定対極のソ・サ系列は推論による照応を指示するものと位置付けられる
- それぞれが何を指示するか、を考える
上代~近世の感動詞・曖昧指示表現・否定対極表現
- 上代・中古では曖昧指示表現が生産的
- さるべき、さるまじき
- そことも見えず、その月、その人、そこらの人
- 中世には曖昧指示表現が慣用的な表現に、感動詞もソウに偏っていく
- 否定対極表現(さほど)もやや遅れて慣用化
古代語と現代語の比較
- 心的領域の観点から比較すると、
- 指示領域の変化の中に位置付けると、
- すなわち、歴史的変化の中でソ・サ系列が観念用法を失ったために、感動詞・曖昧指示・否定対極と照応用法の繋がりが感じにくくなり、例外的・周辺的なものと捉えられるようになった、と考える
雑記
- 締切などで少し忙しく更新がストップしていたので、小町ブログ方式で埋めていこうと思います(2019/02/18)