小島聡子(2002.3)古典語のテ型の一用例:「~てやる」
小島聡子(2002.3)「古典語のテ型の一用例:「~てやる」」『明海日本語』7
要点
- 中古において、補助動詞と解すべきテヤルの例はない
前提
- テ形補助動詞のテヤルについて、現代語訳と古文の意味との関係に注意しつつ、中古の例を検討する
- ヤルの意味を確認しておくと、
- 本動詞ヤルは遠心的方向に移動させることを原義とし、スル相当で使われることもある
- 補助的用法として、複合動詞後項のヤルも、その動作が遠くへという方向性を持つことを示す
- 現代語ではVヤルは生産的ではなく、
- かわりに補助動詞テヤルが、動作が聞き手に利益のあることを示したり、相手に対する好意・悪意をもってその好意を行うことを示したりする
上代~中古の「て+やる」
- 上代のテヤルの例が補助動詞テヤルであるという指摘があるが、補助動詞的用法として認めないほうがよい
- 例えば「鰒玉包みて遣らむ」(4103)は、「包む」自体に利益はなく、しかも、4104には「心なぐさに遣らむ」とある
- 中古の例もやはり、補助動詞テヤルとしては認められない
- あしたには狩にいだしたててやり、夕さりは帰りつつ、そこに来させけり。(伊勢)
- 行かせるの意のヤルとして取るべき
- さるべき受領あらば、知らず顔にてくれてやらんとしつる物を(落窪)
- マイナス利益の例として見るには早すぎる
- 写本成立時のテヤルが紛れ込んだ可能性もあるが、他に補助動詞的用法の存疑例があるわけでもない
- あしたには狩にいだしたててやり、夕さりは帰りつつ、そこに来させけり。(伊勢)
中世の「て+やる」
- 日国における宇治拾遺の例もやあはり、補助動詞の例として積極的に解すべきものではない
- 男のうれしと思ふばかりのことは、かゝる旅にてはいかゞせんずるぞ、くひ物はもちてきたるか、くはせてやれ(宇治拾遺)
- 食わせてから行かせよ、の意
- 男のうれしと思ふばかりのことは、かゝる旅にてはいかゞせんずるぞ、くひ物はもちてきたるか、くはせてやれ(宇治拾遺)
- 宇治拾遺には具体的移動のない次の例があり、この時期が過渡的であったといえるかもしれない
- 「いづくぞ、その玉もちたりつらん者は」といへば、「かしこにゐたり」といふを、よびとりてやりて、玉の主のもとにゐて行きて
- なお、少し下った覚一本平家で確認すると、ヤリV/Vヤルが見られる一方で、そもそもテヤルの例は見られない
- 日国や諸研究が中古の例を補助動詞的に解釈してしまったのは、それらの例が一人称視点の会話文であり、前項動詞が既に移動の意味を持つものであったためだろう
雑記
- 別に論文書かなくてもいいなら論文書かなくてもいいな…?