高見三郎(1977.3)杜詩の抄:杜詩続翠抄と杜詩抄
高見三郎(1977.3)「杜詩の抄:杜詩続翠抄と杜詩抄」『山辺道』21
諸本
続翠抄
- 両足院本続翠抄は第1冊を欠く全10冊、天文9書写識語がある。林宗二だけでなくもう一人の書写者がいたか
- 国会本続翠抄は完本で構成は両足院本と同一、乱丁部の写しから、両足院本を直接の親本とする転写本か
- 講義の行われた時期は永享年間を中心とした、応永末期~嘉吉年間か
- 奥書に永享9(1437)-12までの年代が見られ、これが抄録時期か
- 特に江西龍派(1375-1446)の名が目立つが、江西の杜詩講義を聞いた者による抄であろう
- 心華・太白・絶海・大年・惟肖の名も見られ、これら先学の説も引かれている
- 杜詩抄に「此批語ハ永享八年(1436)之講ニモナニヤラウヨメヌト云ナリ」とあるのが注目されるが、講が一度でなかった可能性もある
杜詩抄
- 両足院本は全25冊、林宗二ほか2人の書写、足利本は巻6を除いてほぼ同一の本文を持ち、極めて近い関係にある
- 巻6以外において、足利本は両足院本を直接の親本とする転写本か
- 巻6はそれぞれが独自の抄文を有するもので、続翠抄を一資料としながら、それぞれ独自に抄されたものであろう
- 巻16にも問題があるが、省略
- 杜詩抄には「以雪嶺多少聞書并続翠抄抄之畢」とあり、(ときおり「江西云」「続翠抄曰」などとあるが)ことわりなく続翠抄の抄文が組み込まれている
- 「雲抄云」が問題となるが、これを黙雲(天隠龍沢)と見ることはできず、不明
- 続翠抄の「私曰」が杜詩抄で「文叔云」となることと、建仁寺への出世の関係を考えれば、続翠抄の抄者は文叔真要であると考えられる