野村剛史(1993.3)「上代語のノとガについて(下)」『国語国文』62(3)
要点
- ノとガの共通性を「原始的修飾」に求めた上で、ノの機能について考える
- ノの機能は、体言が属性的であるか実体的であるかという観点から、以下の4つにまとめられる
- 所有:(属性性)+実体性(人の手)
- 主格:(属性性)+実体性(花の咲けば)
- 喩的:属性性+(実体性)
- いわゆる序詞や枕詞は、かかり先がク語法、ミ語法、準体、接続など、なんでもよく、連用修飾語的であると考えるならば連体基本説はやはり怪しい
- 以下の2パターンがあり、後者が多い。「黄葉の」は、主格的にも(実体的にも)、「黄葉のように」とも(属性的にも)認められ、やはり連体・連用が未分化であると考える
- 主語~ノ+連用語+述語:大船のゆくらゆくらに
- 主語~ノ+述語:黄葉の移りい行けば
- 同一性(同格):属性性+実体性(たなびく雲の青雲)、コピュラ的
- その他(属性付与的修飾):人の動き、川の流れ
- このうちガは、所有と主格の用法しか持たない
- ガは、上接語の実体性をあらわにする方向に機能するものと考える
- (例えば、「我が子」の主要な実体は「我」であり、)これと相関して、用法も主格・連用に限られる
- では、「どのような要因がガを特別に要求する」のか?
- ノ・ガが情態言的な指示詞(非「レ」形式)と結びつきやすいこと、さらに、「ワノ」「ナノ」がないことの要因を考えると、
- 格別に主体性の強いワ・ナが、一般的な修飾語化のノ以外の形式を求めたのではないか
- まとめ、
- ガは本来、「主体性の強い情態言に呼応してその実体性をあらわにする特殊な修飾語化の助詞」であり、そのため、主格・所有用法しか持たない
- 一方でノは一般的で、特殊な主体以外のあらゆる体言や情態言につく
- なお、ガは情態言、ノは情態言と体言につくのは不均衡であるが…
- 本来的には情態言においてガとナが対立しており、
- ノがナに取って代わり、ガが用法を広げたことで「あたかもノとガが対立的ペアを構成するようになった」のではないか
雑記
- 学部生の頃読んだときは全然わかんなかったなあ(今わかるとは言ってない)