ronbun yomu

言語学(主に日本語文法史)の論文を読みます

塚本泰造(2001.4)本居宣長の著述(擬古文)に見られる「から」について

塚本泰造(2001.4)「本居宣長の著述(擬古文)に見られる「から」について」迫野虔徳(編)『筑紫語学論叢』風間書房

要点

  • いわゆる分析的傾向の流れの中で、その表現欲求を満たそうとするとき、擬古文は、和文という古い「コマ」を使うしかないので、その用法に変化が見られるはずである
  • この観点から、宣長の著述における接続助詞的なカラの分析を行う
    • 知りがたきを、強て知がほに定めたる漢人の説は、大きに違へるひが事多きを、儒者はえわきまへずして、実にさることと思ひなづめるから、かゝるひがことはいふめり(くず花)
  • 宣長のカラの性質、
    • 遠鏡にはカラシテ・カラハで現れるので、口語のカラの混入ではない
    • 中古和文はカラニが普通なので、中古和文のカラの模倣とも考えられない
    • 連体形につくこともあり(有しから・古事記伝)、品詞上も曖昧である
    • 似た機能を持つものに「故に」「によりて」「より」などがあり、特に「故に」が近く、カラはそれよりは特殊な表現領域を担うのではないか
  • カラが繋ぐ因果は、学問的批判・道徳的批判など、「現在のある事態・結果を不自然と判断した場合、それに対する批判・説明の表現に集中する」
    • 「故に」にも同様の例が見られるものの、批判的な内容は、カラの承ける叙述内容に偏る
  • ラニにも同様の例があり、宣長のカラはおそらくカラニに由来すると考えられる
    • モノカラをもとに、カラニからカラを析出したと見る
    • ニを省いてよいと考えた理由はよく分からないが、体言カラ(心カラ)があることが一因か
  • 以上の宣長のカラの使用(批判的な強調)を支えるのは学問的な確信であり、
  • このような因果関係の思考の営みにおいて(のみ)、擬古文に日本語の表現の流れを示すような現象が見られるのではないか

雑記

  • 勉強って続かないね