ronbun yomu

言語学(主に日本語文法史)の論文を読みます

塚本泰造(2006.3)馬琴の文語に見られる「から(に)」が意味するもの:「から」をめぐる言説とその影響

塚本泰造(2006.3)「馬琴の文語に見られる「から(に)」が意味するもの:「から」をめぐる言説とその影響」『国語国文学研究』41

要点

  • 馬琴の文語に見られるカラについて考える
    • こは交易の為に渡海せし、日本人よと思ふから、貯もてる薬なんどの、ありもやすると立よりて御身が懐をかい探るに、(椿説弓張月
  • この現象は、カラ周辺の語群や言説を踏まえると、直接的な俗語の混入とは考えられない
    • 馬琴自身に、カラ(ニ)を王朝語の系譜を引くものと捉える言説があること
    • ラニや、連語「一夜の間(カラ)に」がしばしば見られ、このカラが上代語に由来すること
  • 馬琴のカラニは、「後件に通常・尋常ではない状態・事態があり、なぜそれが生じたのかを前件に位置させて、この二つを結びつける」ものが多い
    • こは不審とおもふから、ふたゝび汀渚に走り出、と見かう見れど(椿説弓張月
    • 宣長のような、正誤に基づく批判(塚本2001)の含意はない
    • また、「間」字で表記されることも多く、継起的表現も担う
  • このカラは結局「ひとよのからに」に収斂して衰退する
    • 「因果でもあり継起でもありうる」という両義性が衰退の原因であり、
    • ラニ・サルカラニもまた同様に両義的であって、
    • そこに新たに、ソノママを文語めかした(ト)ソガママが成立した*1

雑記

  • おしまい

*1:「曖昧さを保ったままであれば、新しい表現欲求もその担う形を確かにつかむことができない」(p.9)とあるけど、ソガママが継起を表すなら、因果の側に(一般的なバ・ユエニが持たない特別な領域を担うものとしての)カラが残ってもよいのでは?