福田嘉一郎(1998.2)説明の文法的形式の歴史について:連体ナリとノダ
福田嘉一郎(1998.2)「説明の文法的形式の歴史について:連体ナリとノダ」『国語国文』67(2)
要点
- 連体ナリとノダの関係について、平家と天草平家の対照に基づいて考える
- 信太1970は、連体形準体法+ナリ→連体形+ノor形式名詞+コピュラへの交替を想定するが、
- 実際にどのような形式名詞が用いられたのかは明らかでない
- 覚一本→天草平家の対応関係は以下3種、
- 1 連体ナリ→連体ナリ・ヂャ:此世にあるならば→この世にゐるならば
- 2 連体ナリ→名詞+指定:べきにもあらねば→~うずることでもなければ
- 3 それ以外
- 2 は多くなくしかも類型的な言い回し(ウズルコト/儀デナイ)に偏る
- また、連体ナリは天草版で無視された例が最も多い
- 「あまりにひたさはぎにみえつる間、帰りたりつるなり→あまりにひた騒ぎに騒いだによって帰った」のように、現代語でノダが必須なのに天草平家には何もない例があることを重視しつつ、現代語でノダが必要な例について考えたい
- 理由を特立する場合に中世後期の口語には文末に特別な表現を必要としないが、ノダ相当のモノヂャがある例があり、これは判断実践文(推量的判断)に限定される
- 此つなを引たによつて、つえがあたつた物じゃ(虎明本・瓜盗人)
- 一方、モノナリや連体ナリは知識表明にのみ用いられるので、この2種は直接の関係性を持たない
- また、中世後期におけるナラバには、連体形ではなく文を承接することも可能であった(忘れうぞなれば・天草平家)
- 以上の、文末に表現を伴わない理由の卓立、判断実践文のノダに相当するモノヂャ、文承接の指定辞は近世前期にも引き継がれる
- ただし、当期のノダはあくまでも準体助詞+指定辞(あれは犬が聞そこなふたのじや)であって、
- 「説明の助動詞」となったノダがモノヂャと交替するのは近世後期のことであろう
雑記
- どうぶつの森のナナフシ、まじで捕まらん