安本真弓(2009.3)中古における感情形容詞と感情動詞の対応とその対応要因:中古前期・中期の和文作品を対象として
安本真弓(2009.3)「中古における感情形容詞と感情動詞の対応とその対応要因::中古前期・中期の和文作品を対象として」『国語語彙史の研究28』和泉書院.
要点
- 中古において、現代語よりも感情形容詞と感情動詞の対応(アサマシ・アサム、オドロカシ・オドロク)が多いことについて考える
- 感情形容詞と感情動詞の持つ感情は基本的には同じだが、「感情主が描写の人物と一致するか」という点において異なる
- 「中古の感情形容詞が「主題」に偏って用いられるのは、語り手・話し手・「主題」という表現主体の側に属す人物の自己の感情しか表出できないという強い制限が、あらゆる面で存在しているから」
- 終止形だけでなく連体形や連用形にも同じ制約が見られるし、
- 形容詞+思考動詞の場合も同様の制限がある
- 中古の感情形容詞の人称制約が、(現代語に比して)強いということでもある
- 以上を踏まえ、冒頭の問い、「感情形容詞と感情動詞の対応が多く存在する要因」は、感情形容詞が「感情表出」の用法しか持たず、「状態描写」の用法を動詞が担ったためであると考える
- 現代語の場合、「彼が悲しそうだ」「(不特定にとって)恐ろしい病気」がいける
雑記
- 昨日の注のコメント、たまたま週末に杉村先生がそういう講演をするっぽい
*1:形容詞の方に制約があって、動詞の方には特にない(ことが結果として偏りを生む)ということではないか? そういう意味で、ここでガルを例に出すのはミスリーディング?