ronbun yomu

言語学(主に日本語文法史)の論文を読みます

小亀拓也(2021.3)連体修飾節中に生起しにくい述語形式について

小亀拓也(2021.3)「連体修飾節中に生起しにくい述語形式について」『間谷論集』15.

要点

  • 連体修飾節の統語的制限についての三原(1995)の議論を定量的観点から再検討したい
    • 「判断確定性が最高次である確言のムード表現は連体修飾節中に生起可能であり、概言のムード表現は判断確定性が低くなるに従って生起が困難になる」(三原1995)

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p.47

  • カモシレナイ、ニチガイナイ、ラシイ、ダロウの連体法は、述語形式(シタ36.1%, シテイル16.9%, と思われる: 17.1%, ハズ9.1%, デアロウ4.8%...)に比して低い

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p.54

  • 考察、
    • 三原は カモシレナイ・ニチガイナイ>ラシイ という容認度の判断だが、生起率はむしろラシイ>カモシレナイ・ニチガイナイ*1
    • デアロウ(4.8%)とダロウ(0.3%)の比較から、「推量判断をあらわすものとして文法化がより進んだ述語形式は連体節中に生起しにくい」(p.56)と考える
    • 連体法がほとんど存在しないのは、「推量」を「言語行為的意味が表現されることのない場所では用いることができな」(p.57)いためであり、
    • 連体法の実例が少数ながら存在するのは、カモシレナイ、ニチガイナイ、ラシイが、実質語的な側面を残すため*2

雑記

  • アウトプットの期間が全然終わらず、もう吐くものがないのに腹パンされ続けてる人みたいになってます そんな人はいませんね

*1:これよく見るけど、例が現れやすいかどうかをイコール容認性の高さとして結びつけていいんかなと思う、容認度と頻度は違うよね

*2:それを言い出したら何でもありやん感があり、特にラシイの「実質語に近い意味合い」(p.59)と、普通に連体修飾できるけど典型的機能語化は終わってるハズダと、そもそもの「文法化の「進度」」的なものをどう客観的に評価するかみたいな説明が必要に思う