野村剛史(2005.11)中古係り結びの変容
野村剛史(2005.11)「中古係り結びの変容」『国語と国文学』82-11
語順法則
- 上代は以下の語順がほぼ守られるが、中古に入ると崩壊する
- …係助詞…ノ・ガ…連体形
- 物思へれかも声の悲しき
- これは、結びの部分が連体形句(≠連体形述語)であることの現れだが、中古は「係り…連体形」の呼応関係に変化した、と解釈できる。すなわち、
カの脱落
- 中古では疑問詞のみで「疑問語…連体形」の係り結びが構成可能
- 係りの役割は文焦点を示すことであり、疑問語は疑問文の焦点になるために、カ無しの係り結びが可能であった
- 他の係助詞に関しても類推的に脱落する可能性がある
- これは、連体形終止文の拡大とも連続
係り成分の変化
- 中古の係り成分は理由句から離れる
- 理由句の独立性の高さによる
- 我が背子にまたは逢はじかと思へばか今朝の別れのすべなくありつる(万540)
異例
- 「①連体形で②終止する」ことへの違反
- 仰せられし後なん、隣のこと知りてはべる者呼びて問はせはべりしかど、はかばかしくも申しはべらず。(源氏・夕顔)
- 「「連体形で終止」することに決定的な意味が失われている」(p.43)
係り結びの形骸化と消滅
- 特にゾ・ナムの場合、係りの役割が文焦点の明示から、発話者の感情を籠める程度の間投助詞的役割へと格下げ
- まだ、世にあらば、はかなき世にぞ、さすらふらん。(源氏・箒木)
- 係り結び消滅の要因に関して、連体形終止の一般化が挙げられることがある
- 連体形終止の一般化は係り結び崩壊の必要条件ではあるが、連体形終止が一般化しても連体形終止の内部に係助詞が存在することは可能
- 形骸化して間投助詞化した係助詞が脱落することを要因として想定
- 「要するに間投助詞などは、有っても無くてもどうでもよいと言えば言える」(p.45)*1
- 「間投助詞的係助詞」の個々の消滅については、
- ヤ:疑問文を作るだけなら、文末のカ・ヤやイントネーションで十分
- ゾ:よくわからないが、尊大な表現性格が嫌われ、ナムだけで十分となったか
- ナム:ナム>ナウ>ノー>ノ、ナム>ナウ>ナー>ナ などとして残存してると言えばしてる
*1:野村節を感じる