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言語学(主に日本語文法史)の論文を読みます

増井典夫(2015.2)形容詞終止連体形の副詞的用法

増井典夫(2015.2)「形容詞終止連体形の副詞的用法」『近代語研究』18

要点

  • 今で言う「すごいおいしい」の近世・近代におけるあり方
    • 上方ではえらい→きつい
    • 江戸・東京ではきつい→おそろしい→すごい
  • この用法の語は、一時代に一語だけが要請される、とする仮説を立てる

用例概観

  • 江戸では近世期に広く使われ、幕末から明治初期に衰退する
    • きついいそがしい事だ(傾城買二筋道[1798])
    • マアきつい御機嫌。(仮名文章娘節用)
  • 上方・関西ではきついに代わり、天保頃にゑらいが台頭する
    • お下りのあいだにきつひうつくしい子が出てゞござり舛た(睟ののすじ書[1794])
    • ゑらひおふけなものがすきじやナア(睟ののすじ書[1794])*1
  • 東京語では明治期に、きついに代わっておそろしいが台頭。その後、すごいが台頭
    • 可恐い光るのね、金剛石(金色夜叉
      • 「おそろしい」はあまり広がらなかった。その要因としては、もともとの「恐ろしい」が程度を表さず、恐怖の意を持っていたこと、また、それが基本的な用法として歴史を持っていたこと
    • 私と一緒に一週間ーペん泊まる人ね、スゴイへんな顔なのよ(森村桂『青春が来る』1968)

発生要因と展望

  • 要因、程度の甚だしさにのみ現れることを考えると、単純化としての「形容詞の無活用化」では片付けがたく、むしろ、強調効果のために原形を用いたと考える*2
  • 「すごい」の次に来るのは「やばい」か

気になること

  • 次のような例もあり、生産性もなくはなさそう
    • ぜんたいそのやうにかまし言なさるくらひなら。芸子をしなさればよいに(色深猍睡夢[1826])
  • あと、そもそも近代以前、終止連体形による連用修飾がわりとゆるく許容されてたのでは?とも思う
    • 時には寒い碧い色をした小さな沼の畔の路に見えた。(太陽1917)
  • 「まだ「やばいいい」や「やばい悪い」といった用法はなく、「やばい」自体が中立的になったとは言えない。」(p.17)とあるが、多分あるだろうな~と思って調べてみると、やはりたくさん出てくる

*1:同一作品の例であることに触れないのはやや不審

*2:「原形=強い印象」というのの他に、副詞が非活用語であるからそっちに寄せたのでは、とも思う