ronbun yomu

言語学(主に日本語文法史)の論文を読みます

信太知子(1970.9)断定の助動詞の活用語承接について:連体形準体法の消滅を背景として

信太知子(1970.9)「断定の助動詞の活用語承接について:連体形準体法の消滅を背景として」『国語学』82

要点

  • 連体形+ナリは可能なのに、連体形+ダはないのは、連体形準体法の消滅によるもの
  • また、その消滅過程には、ナリ・ニテアリが文相当句を承接する例が見られる

問題

  • ナリは体言及び連体形を承接するが、ダは連体形を承接しない
    • 彼は男だ/なり 彼は行くなり/行く
  • 次のどちらの解釈が妥当か?
    • A ナリからニテアリに移行したときに連体形承接の機能を失った
    • B 連体形そのものが準体法を失ったことにより、助動詞が連体形を承接しなくなった

A

  • ニテアリにも連体形承接の例はあり、江戸時代のダですら連体形承接の例がある
  • ナリの用法はほぼそのままニテアリに受け継がれたと見てよく、Aは棄却される
    • すなわち、助動詞の問題ではなく連体形側の問題である
  • 特に、連体形承接の例がニテアリの段階ですでに減少し始めていることには注意する必要あり

B

  • 連体形による準体法の衰退が顕著になるのは室町末以降であり、これは連体形+ニテアリの減少の時期と即さない
  • 院政期に入って、ナリは文章語、ニテアリは口頭語という対応状況が生まれたために、「消滅しつつある準体法」と結びつかなかったものと考えて、Bの妥当性が認められる*1

連体形承接と準体法

  • 後代に見られる連体形承接の例は全てが古態というわけではなく、連体形終止法の成立によって従来体言相当句であったものが文相当句となったことによるものと見られる
  • すなわち、連体形が体言相当句を構成する力を失うとき、その後の一つのあり方には形式名詞・ノによって体言相当句を再構成する場合が考えられるが、もう一つ、文終止の性質が表に出るという場合が考えられる(以下、例)
    • 文の承接:心得て吉うでそろ(毛詩抄)/センゾヂヤホドニ(史記抄)
    • ム系の承接(ニテ系):~ヤラウヂヤゾ(史記抄)/見うで候(毛詩抄)
    • ム系の承接(ナリ系):アラウゾナレドモ(史記抄)/助けられうならば(毛詩抄)
      • (形式名詞と連体形準体法は範疇が異なるので、一対一対応で可換なものではなかったことも新用法発生の要因)

雑記

  • 神戸の感想書こうと思ったがやめた…

*1:連体形における準体法の消滅は、連体形が単独で体言相当句として機能しなくなり(連体形が連体法として機能する)、現代語では形式名詞やノによって間接的にしか連体形を承接できなくなることになるので、やはりBの妥当性が認められる、という旨が次節に書いてあるが、どういう因果かよくわからん、循環してるのでは?