仁科明(1998.12)見えないことの顕現と承認:「らし」の叙法的性格
仁科明(1998.12)「見えないことの顕現と承認:「らし」の叙法的性格」『国語学』195.
要点
- ラシの性格と、妥当な理解について考える
- まず、ラシを「根拠ある推量、確かな推量」という従来的理解、ひいては「推量」とする理解そのものに限界がある
- (この規定の根拠となる、)「根拠句とラシが併置される」ことは、あくまでもそのラシが「根拠の明示された推量」であることを示すだけで、
- 推量を「不確かな判断」「推論による判断」のどちらで規定する場合においても、ラシを推量と捉えることはできない
- ラシを特定の意味ではなく叙法の次元で考え、「何らかの理由によって直接に手にとって見ることのできない事態が、現実(現在ないし過去の客観的事実)として動かしがたく存在することを(確言的に)承認する」と規定したい
- 事態の成立に対しては積極的な保証を与える(cf. 形容詞終止形・キ・ケリ)
- 一方で、事態が「直接観察できない」という特殊な位置づけも与える
- ラシの「不確かさ」は後者の側面によるものと考える
- 用例を「観察不可能」のあり方から大きく2種に分けると以下の通りで、太枠部を占める
- イ 物理的に遠
- イ1 眼前事態との強い関係
- イ2 他人からの情報
- イ' 不可視の事態
- ロ 一般的真理を表す
- イ 物理的に遠
- 構文的ふるまいについても以上のラシの把握から説明可能
- 仮定条件の帰結句に現れないのは、「仮定条件の帰結句で表されるような事態には話してが積極的保証(確言的承認)を与えてやることが不可能」であるからであり、
- 疑問文に現れないのも、ラシが特殊な断定判断を打ち出す形式であり、その承認のあり方が、「内容が成り立つかどうかだけが問題にされる疑問文」では問題にならないことによる
- 終止形から分出されることについては、(連用形が広義完了、未然形が非事実としてまとめられる一方で、)ラム・ベシとともに、「話し手にとって確実な事態を確実なものとして承認するわけでも非現実の事態を単に想像的に思い描くわけでもないという消極性によって規定される」ものと考える
雑記
- ヤフオクで、その編が上中下揃ってるだけの端本を「4編揃」みたいなタイトルで出す出品者、追徴課税食らってくれ~