山田昌裕(2012.10)「「デサエ」の融合化とその背景」『表現研究』96
要点
- デ相当でないデサエについて、その発生の背景を考える
融合化したデサエ
- 融合化したデサエの問題を扱う
- ひっきりなしに通る電車の音{でさえ/*で/が}、ここでは商店街の活気をさらに強調するBGMのように聞こえます。
- 「国民病」といわれるがん{でさえ/*で/を}、抗がん剤などの発達により、治療しながら働き続けることができる時代になった。
- 一助詞として融合し、ガ格成分・ヲ格成分などに下接する
- 江戸期以降に見られる形
- 他人でさへ目を泣きはらした。(女殺油地獄)
- データから、
- 時代が下るにしたがって融合化したデサエは増加する
- 時代が下るにしたがって、融合化したデサエはさまざまな格成分に下接するようになる
- 「名詞句+デ」+サエがなぜガ格成分を中心に下接するのか、という問題について、
- 動作主性のあるデ(自分でやる)との関連性は、使用率の関係から考えがたい
- そもそもサエそのものがガ格成分に下接しやすいことに注目する
- 朝な夕なの食事さへ、ろくろく進まず打臥しぬれど(仮名文章娘節用)
発生の背景
- 現代語のサエとデサエ
- 涙{さえ/*でさえ}浮かんでいる:サエは述語句の対照
- 僕{*さえ/でさえ}疲れたのだから、君はどんなに疲れたことだろう:デサエは名詞句の対照
- 横綱{さえ/でさえ}投げ飛ばす:両方の解釈が可能な場合
- 江戸期においてはこの使い分けは見られないので、言語運用上の利点としては考えられない
- 副助詞の体系を考えたとき、
- 古代語のサエは累加(~までも)、ダニは類推(~さえ)
- 室町にはサエが類推の機能を吸収し、
- 江戸期にはサエは累加と類推の両方を表す
- デサエはいずれも類推として機能するもので、累加との形式的な違いを示すために発達したものと考えられる
- 惡い子でさへ捨かねるは親の因果。ましてけなげな子でないか(ひらかな盛衰記)
- 昔から賢女と言はれる人でさへ、兎角其の一念は、去り難いやうに見えれば、まして一通りの人では、愼むこと愈々なり難いに由つて(花廼志満台)
雑記
- 初詣にて、旁が戈の財を見かける
- 材木・石材店の材はよく見るが、これはややレア?