古川大悟(2019.1)「助動詞マシの意味」『国語国文』88-1
要点
- マシの意味を「対象事態を可能性として提示し、別の可能性と比較する」こととして捉え、その有効性を示す
問題
- マシの意味を反実仮想とすることの問題点(山口1968)*1
- 反実・反事実は表現対象の事態の質であって、様相的意味を表すとは言えない
- 仮想も「仮」は事態の質であってモダリティではなく、「想」は具体性を欠く
- 山口(1968)は「対象を非現実的な事態として推量的に表すもの」とするが、「非現実的な事態として表す」とはどういうことか?
- 栗田(2013)*2は、以下の2類を提示
- i 反事実の事態を構成すること
- ii 言語主体にとって望ましくない現実事態をより望ましいものへと転換すること
- 後れ居て恋ひば苦しも[←現実の不望事態]朝狩の君が弓にもならまし[←弓となることで打開される]ものを(3568)
- 様相的意味を記述する点で一歩踏み込んでいるが、やはり i は対象の質であって、i ii を併せると質と様相的説明が混在するわけで、問題も残る
分析
上代
- 表現構造から見たとき、マシは現実事態と仮想事態の比較をするもの
- 意味としては、マシそのものの意味に願望が認められる
- マシヲ・マシモノヲが多いのは確かだが、マシ単独で望みを表す例もある
- 他の可能性と比較し、好ましい方の可能性を理想として見る態度が願望と不可分であるものと見る
- ¬Bにマシがつくよりも前提内容の¬Aにマシがつくほうが強い願望(・後悔・意志)を示す。このことと、ズハの特殊語法(≒よりはいっそのこと)との関連として、
- 特殊語法ズハは、後句のマシの帯びる強い願望や意志の意味と対応して成立する
- 通常のズハ:相見ずは恋ひざらましを妹を見てもとな(586)
- 特殊語法ズハ:かくばかり恋ひつつあらずは高山の岩根しまきて死なましものを
- 通常の場合、¬A(相見ていない)ズハ、¬B(恋しく思わない)マシ
- 特殊語法の場合、¬B(恋しく思ってばかりいない)ズハ、¬A(死んでいる)マシ
- ¬Bの実現のための¬Aへの欲求が、¬Aにマシを要求し、結果的に「逆行」が起こる
- 特殊語法ズハは、後句のマシの帯びる強い願望や意志の意味と対応して成立する
- 願望を表さない例があるが、これも「可能性の提示と比較」で説明可能
- 我妹子が形見の衣なかりせば何物もてか命継がまし(3733)
- 衣がない状態は望ましい状況ではない
- 十月雨間も置かず降りにせばいづれの里の宿か借らまし(3214)
- 複数の可能性を想定するものであり、願望ではない。3つ以上の可能性の比較と考える
- 我妹子が形見の衣なかりせば何物もてか命継がまし(3733)
中古
- 上代の用法は中古にも引き継がれる一方、上代からの変化に以下の点がある。これが相まって、結果的に強い願望・意志の用法は縮小する
- 後者と表裏する現象に、実現不可能と知りながらの願望に近い意味を表すことができる「¬Aマシカバ」の隆盛があり、マシのみによる強い願望の用法はこれによって縮小
まとめと展望
- 以上の用法の分布を示すと、
- マシの基盤となる意味を「対象事態を可能性として提示し、別の可能性と比較する」ものと捉えると、上代の標準的な用例はそのうちの特別な場合に偏在する*4、と考えられる
- 作品解釈への適用にも「比較」の意味付けは有用
- 展望として、
- マシ(カバ)とベシ・マジが呼応することがあるが、マシカバ~ムの例は鎌倉まで下ることから、上代~中古においてマシとムは交渉関係を持たず、マシとの関連について考察すべき助動詞はベシなのではないか
雑記
- 京成スカイライナーの入り口にチケットをチェックして右の階段か左の階段を教えてくれる人がいるのだが、毎度、不思議な仕事だな(改札じゃダメなのかな)と思ってしまう