小柳智一(2004.7)「「ずは」の語法:仮定条件句」『万葉』189
要点
- 特殊語法「ずは」について、通常の「ずは」と共通する解釈(仮定条件句)を提示し、
- その差異について、前句と後句の関係性が、通常の場合は順行的、特殊語法の場合は逆行的であるものと考える
前提
- 通常の仮定条件として解釈できない特殊語法「ずは」
- かくばかり恋ひつつあらずは高山の磐根しまきて死なましものを(86)
- 宣長『詞玉緒』は「恋ひむゆは」と同じ「んよりはといふ意」であるとするが、「ずは」と「むゆは」が同意であるとは考えがたい
- が、通常の仮定条件(ズハA)以外の特殊なズハ(ズハB)の存在を想定していたと推察される
- 橋本進吉は「ずしては」の意として解する
- それ以降も2種類のズハがあることが論じられるが、共通性はないのか?
- ズによって否定される事態が何か、前句・後句の関係性はどのようであるか、の2つの観点を組み合わせて考える
ズが否定する事態
- 事態が実現しているか否かという様相に着目する
- ズハAは、起こる可能性のある事態(可能的未実現)や、過去に既に起こった既実現の事態(不可能的未実現、いわゆる反実)を否定する
- 君来ずは形見にせむと我が二人植ゑし松の木君を待ち出でむ(2484)
- はじめより長く言ひつつ頼めずはかかる念ひに逢はましものか(620)
- 可能的未実現の事態は否定すると可能的未実現のまま
- ズハBは、今現在起こっているか、起こりつつある既実現の事態を否定する
- かくばかり恋ひつつあらずは石木にも成らましものを物思はずして(722)
- 既実現の事態の否定は、不可能的未実現になる
- すなわち、ズハAは可能的未実現と不可能的未実現を表すが、ズハBは不可能的未実現しか表さない
- ズハAは、起こる可能性のある事態(可能的未実現)や、過去に既に起こった既実現の事態(不可能的未実現、いわゆる反実)を否定する
- ズハと呼応する文末形式は、Ⅰマシ、Ⅱム、Ⅲジ、Ⅳベシ、Ⅴテシカ(モガ・ナ・命令形など)があり、
- 最も多いマシにおけるズハAは、実現不可能な事態を提示する「不可能的仮定条件句」であり、一方のズハBも、不可能的仮定条件句になる
- A:相見ずは恋ひずあらましを…(586)
- B:君に恋ひつつ生けらずは咲きて散りにし花にあらましを(2282)
- 可能的未実現を表すズハAは、起こりうることを表す通常の仮定条件句(可能的仮定条件句)となる
- このように考えると、ズの否定する事態の様相の違いに応じて可能的か不可能的かが異なるものの、ズハはAもBも仮定条件句であると考えられる
- 最も多いマシにおけるズハAは、実現不可能な事態を提示する「不可能的仮定条件句」であり、一方のズハBも、不可能的仮定条件句になる
事態の意味関係
- 不可能的仮定条件句において、上Aの例は「相見ず」ならば「恋ひずあり」、Bの例は「花にあり(人でない)」ならば「君に恋ひつつ生けらず」という関係性を持ち、前者は「因→果」で順行的、後者は「果→因」で逆行的である
- 可能的仮定条件句の場合、「年の緒長く相見ずは恋しくあるべし」(4408)のような「因→果」の例の他、因果性の薄いものなどもあるが、全て順行として処理できる
- すなわち、ズハをA・Bに分けるのは前句・後句の意味関係である
ズハB
- ズハBの意味は、反実と事実の相関で捉えられなければならない
- 恋ひつつあらずは…死なましものを(86)における因果は「恋ひつつあらず(果)―死ぬ(因)」であり、表現されていない事実の側では、「恋ひつつあり(果)―生けり(因)」という因果がある。反実の因果と事実の因果を比較していると見るべき
- 前句「恋ひつつあらず」は望ましい事態、後句「死ぬ」は望ましくない事態で、事実側では「恋ひつつあり」は望ましくなく、後句の「生けり」は望ましい
- 望ましくない「死ぬ」はマシによって仮想され、結果的に望まれているので、「死ぬ」によって「かくばかり恋ひつつあらず」を得たい、という意味関係があり、「果→因」が「目的→手段」の関係性に捉え直される
- 「理由→帰結」の関係性でもあり、判断の順序としては順行的なので、ズハAと同じズハによって表されるのはこのためか
- 「反実の果であるなら代償として反実の因でもよい」という表現で、訳としては「~ないのなら」や、「~ないですむなら」「~ずにいられるなら」「~ないためなら」「~なくてよいなら」などとするのがよい
- マシ以外の例においてもこの解釈が当てはまる
雑記
- 「つきしま」で変換したときに「月島」が先に出てくると、ああ研究を怠ってるなってなる