田島光平(1964.3)連体形承接の「なり」について:竹取物語を中心にして
田島光平(1964.3)「連体形承接の「なり」について:竹取物語を中心にして」『国語学』56.
要点
- 結論を先に挙げる
- ① 平安時代初期の連体ナリは、連体形が体言的である場合(いまだ見ぬ(モノ)なり)を除き、根拠をもって相手に説明する場合に用いられる辞である
- 竜を殺さんと求め給へばあるなり(竹取)
- ② この用法から、根拠と事実を逆に置くことによって「―(すれ)ばなり」などが現れた
- ① 平安時代初期の連体ナリは、連体形が体言的である場合(いまだ見ぬ(モノ)なり)を除き、根拠をもって相手に説明する場合に用いられる辞である
分析
- 1について、竹取のナリを見ると以下のことが言える
- 会話文・手紙文にだけ用いられて、地の文には用いられない
- 地の文の場合も、「読者の方に顔を向けて」いる例である
- 上位者から下位者へという関係がある
- 文の末尾にのみ用いられる
- 疑問文・詠嘆文・命令文などには用いられない(≒説明文である)
- この場合には根拠が示されることが多いが、明示されない場合も暗示的に根拠が存在している
- 会話文・手紙文にだけ用いられて、地の文には用いられない
- このことは、伊勢・土左・最勝王経古点も同様
- なお、最勝王経古点の場合は、根拠を明示する語(~バなど)はないが、説示が深い確信に基づいてなされ、根拠を要さなかったためか
- 2について、
- 都へとおもふをもののかなしきは、かへらぬ人のあればなりけり(土左)
- のような例は、「かへらぬ人のあれば、都へとおもふをもののかなしきなりけり」と等価であり、
- (ナリが根拠と呼応して用いられ、ナリが根拠に密着することで、)根拠と事柄が逆に置かれることによって生まれたものと考える
- 春日はユヱニナリ・タメニナリは一種の訛った形(だがこの時代の訓読文には普通)とするが、バナリ・テナリがあることを踏まえれば、むしろそれが本来の形ではないか
雑記
- 60年前の論文…………????