ronbun yomu

言語学(主に日本語文法史)の論文を読みます

北原保雄・大倉浩(1997)言語資料としての『外五十番』

北原保雄・大倉浩(1997)「言語資料としての『外五十番』」『狂言記外五十番の研究』勉誠社

前提として第2章「所収曲について」

  • 外五十番は複数台本に依拠している
    • 一部は虎明本に近く、古態を示すが、
    • 一部は和泉流三宅家の三百番集本に近い、新しい面も見せる

音韻

  • 四つ仮名・開合は区別されておらず、語による統一意識があるのみ
  • 濁点が多く付されており、特に「む゛ゑん」の例が注目される
    • 当時のバ行子音の音価がマ行に近かったことを背景として、よりブに近い発音を示そうとしたものと見られる
  • 連声表記はわずかに見られる程度で、固定した表現がわずかに「狂言らしさ」を示す
  • 短呼形は狂言記の中で最も少なく、外五十番のもととなった台本のふるさに原因があるか

台本の集成としての外五十番

  • まずマスル・マラスルについて、
    • 口語的でないマラスルが外五十番には見られ、これは虎明本以前の台本との関連を示すが、例数だけで言えばマスルの方が多い
    • 曲ごとの偏りを見ると、マスル専用の曲が13曲あり、マラスル専用の曲はない(天理本・虎明本はマラスル専用曲が多い)。三百番集本(以下「三百」)に近いとされた9曲はマスル専用曲である
      • 外五十番が複数台本に拠ることが確かめられる
    • 三百系の曲と他の曲ではマスの活用にも違いがある
  • 連声・短呼がわずかにあった例も、やはり三百系の曲のものである
  • 新しい尊敬の助動詞シャル・サッシャルは三百系の曲にしか使われていない(それ以外はシラルル・サシラルル)
    • いちだんと(三百)/いちだん(それ以外) に偏りがあり、虎寛本で「いちだんと」に統一される方向性と一致する
  • スレバ、ヤアサテ、応答のハ・ハツ(ハアが古形)も三百系のみ
  • 三百系の曲の名乗りは「是は~ござる」か、「かくれもない大名」のような簡略な名乗りのみ
    • 「罷り出でたる者は」がもともと大蔵流固有で、これらの曲が大蔵流から遠いことを示す
  • この差異は語法面でも同様であり、
    • 一段化率は三百系がむしろ低く、語法面では江戸初期の状態が現れている
    • サ行イ音便は三百系が他の狂言記に比して高い(古い傾向)が、これは特定の動詞にイ音便が現れるためで、用語を整理した固定期の影響と考えられる
    • 助動詞「よう」が三百系に見られる
    • ホドニ→ニヨッテの交替については、三百番系以外の曲に、ホドニ・ニヨッテの周辺にあったとされるトコロデが多用されることが注目される。これは、江戸初期の短い期間に限られた位相で多用されていたものが影響したか
    • ゴザナイは三百系には見られず、ゴザラヌ(新しい形)しかない
    • 助動詞シメ・サシメも同様で、三百系には新しいシマセ・サシマセしか見られない

雑記

  • これをちゃんと読むための狂言記シリーズでした。6月よさようなら