岸本恵実(2018.5)「キリシタン版対訳辞書にみる話しことばと書きことば」高田博行・小野寺典子・青木博史(編)『歴史語用論の方法』ひつじ書房
前提
- 大文典における「話しことば」と「書きことば」の区別について考えたい
- ロドリゲスは日本語の大きな特徴に、口語・文語の隔たりがあることを指摘し、記述している
一人称代名詞
- Vareは口語と文語、VatacuxiとSoregaxiは口語のみに使うとの記述があるが、他の文献ではどうか
- 羅葡日ではEgoにvareのみが当てられ、vatacuxi, soregaxiの使用はない
- ぎやどぺかどるも、一貫して「我」のみ
- 日葡にはVare, Vatacuxi, Soregaxiの見出しがあり、いずれもポルトガル語のEuが当てられる
- 注記はないが、他の項の用例から口語に使われていたことが分かる
コピュラ
- 大文典では、
- 一般の口語にNitearu, De aru, De vogiaru, Nite gozaru, De voriaru, Nite maximasu, などを De gozaruに代表させて表示するほか、Nari, gia , giaruなども挙げる
- 内典の文体については、Ari, Nari, Mono nari, Cotonariを挙げる
- 羅葡日では、nariの使用が基本で、大文典の口語のものは見られない
- 日葡では、gia, gozaruに注記がなく、nariに書きことばの注記がある
- が、他の見出しの用例にはgia, de gozaruが多く、こちらが基調だと思われる
まとめ
- 羅葡日は書きことば、日葡は話しことばを文体の基調とする
- 「キリシタンは説教の際、仏教徒の方法をまねて書きことばに近い日本語で話す方針を採ったため、話しことばを中心に学ぶ一方、書きことばの使い方も知っておく必要があったのである。「羅葡日」「日葡」の二辞書でも区別が原則として守られているのは、日本の言語生活における規範を反映したものといえる。」
雑記
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