糸井通浩(2009.11)「古典にみる「時」の助動詞と相互承接:「枕章子」日記章段における」『国語と国文学』86(11)
前提
- 「時の助動詞」の相互承接は以下の通り
- 縦・横の点線は相互に結合することがあり、実線は結合することがない
ム
- どういう範列的・洗濯的な関係にあるか、という観点から考える
- 無標とムの対立は、事態の実現と未実現という、時の対立を示すものと見る
- なお、事態の識別する時間は必ずしも発話時とは限らず、記述する事態の時に移して叙述することがあることに留意する
- 過去・現在・未来の識別にはム・ラム・ケムがほぼ対応し、
- ムとム以外には、実現と未実現というテンス的対立、確定と不確定という判断上の対立がある
- ラムの現在推量は、認知時における実現したはずの事態に対する不確定さという主体的立場の表出で、
- ケムは認知時から見た回想的な時への事態に対する不確定さという主体的判断
- 日記章段では地の文にムは現れにくいが、ラム・ケムは地の文にも多く現れる
ツ・ヌ・タリ
- ツ・ヌについて、ツは事態の完了、ヌは事態の発生と捉えるのが最も納得しやすい
- ツが意図的、ヌが自然的という整理は結果論的把握であり、
- ツのあとには叙述における「それから」という他の事態が期待され、ヌのあとには「それで」「そうして」という、新しいシーンの事態が展開するような叙述が期待される
- ただ人のねぶたかりつる目もいとおほきになりぬ。(枕293)
- すなわち、ツ・ヌは事態の実現のあり様を認知時との関係で捉えている
- 動詞性を帯びるツ・ヌに対し、タリは動作・変化を状態化して捉える機能を有する
- タリツはあるが、テタリはなく、 タリヌはないが、ニタリはある。これは、
- ツは事態の完了なので、それをさらに状態化することはないためで、
- 時間的展開として、「食べた→食べてある」は有り得るので、タリツも有り得る
- ヌの場合、動作・変化の状態は、咲いた(咲きぬ)→咲いている(咲きたり)という展開をするから、ニタリは有り得る
- ツ・ヌ・タリはム系(ラム以外)に上接する(これはアスペクト的な違いによる)が、
- ラムについてはVラム、ツラム、ヌラムがあるのにタリ+ラムはない
- これは、ラム自体がタリを含むため
キ・ケリ
- キ・ケリとムはいずれもV・ツ・ヌ・タリに下接するが、これらは確定(キ・ケリ)・不確定(ム)で対立し、
- ケリはラム・ケムと選択関係にあるが、キはケムとしか選択関係にない
- キとケリは一見対立的だが、選択的な関係は薄い
- キは回想的に過去の事態を取り出すが、
- ケリの選択は、表現主体の主体的姿勢(発見、詠嘆など)によるものである
雑記
- ヤフオクの和本出品、激レア!とか書いてあると大抵端本