ronbun yomu

言語学(主に日本語文法史)の論文を読みます

信太知子(1998.3)「である」から「ぢゃ」へ:断定の助動詞の分離型と融合型

信太知子(1998.3)「「である」から「ぢゃ」へ:断定の助動詞の分離型と融合型」『神女大国文』9

要点

  • ヂャの成立にはニアリ>ニテアリ>デアル>デア>ヂャが想定されているが、文献にはデアル系(分離型)はそれほど多く見られない
    • ヂャは15C後半、デアルは12Cで、300年の隔たりがあることについても検討すべき
  • 調査、以下の分類に基づき、次の3点を考える
    • 1 融合型と分離型
    • 2 常体と敬体
    • 3 助動詞下接と非下接

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p.133

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p.134

  • まず調査結果から、
    • すでに中古にニアリ>ニテアリへの交替の兆しが見られ、
    • 室町後半にはほぼ交替した
  • 1 融合型と分離型について、
    • 一般に、終止用法で分離型になるのは敬体をとる場合(ニ侍リ)で基本的にはナリだが、ニテアリの場合は常体の例もかなり見られる
    • 否定の場合は分離型が優勢である
  • 2 常体と敬体について、
    • 断定が敬意を伴おうとすると、必然的に分離型にせざるを得ないが、敬体の比率そのものも、時代が下がるにつれて高くなる
    • デアルの例が少ないのも、そもそも無敬語の例が少ないことによるのではないか
  • 3 助動詞下接と非下接について、
    • 常体の分離型は助動詞下接かつ係助詞挿入の場合が多く、必然的に、デアル(分離・常体・直接)は多くない
  • デアルの例の少なさは、以下のように説明できる
    • まず、融合型のナリが優勢であったこと
    • それと同時に、終止用法でも分離型になりうるのは敬体の場合で、
    • 常体で分離型になるのは助動詞下接型であったから、
    • 助動詞非下接・終止・分離のデアルが見られにくかった
  • 移行については以下のように考える
    • 終止・連体形以外・敬体ではニアリ>ニテアリの移行が進んでいるのに、終止・連体形ではナリがいつまでも優勢で、ニテアリに移行しないのは不均衡であり、
    • ニアリ衰退後、その一体性を保とうとして、終止・連体形もデアルに移行したと考える
    • その際、終止型は融合しやすいので、デアルは時をおかずにデア・ヂャに変化したのではないか

雑記

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