村上昭子(1981.7)終助詞「かしら」の語史
村上昭子(1981.7)「終助詞「かしら」の語史」『馬淵和夫博士退官記念国語学論集』大修館書店
要点
- 終助詞カシラの成立の過程について考える
- 抄物にはないので、虎明本と虎寛本の比較を示す
- 虎明本では ~しらぬ、~しらず、~ぞんぜぬ があり、まだカシラヌは成立していない
- どの例も独白部分で用いられており、話し手自身の疑念を表すものと考えられる
- このとき、疑いを表すのは疑問文の方なので、シラヌについては以下の2通りの解釈が成り立つ
- シラヌが「知らない」の意味を残している場合
- 「疑問文がシラヌの目的語」か「先行する疑問文と、自答のシラヌ」かは、決定し難い
- 「知らない」の意味が薄れ、疑問文の疑いを明確化する役割を持つ
- こちがさけにようたに依て、めがちろめくかしらぬな(金津地蔵)
- この2種は区別し難い場合も多く、シラヌが前者から後者へ拡張したことの現れであると見られる*1
- シラヌが「知らない」の意味を残している場合
- 虎寛本では、
- 虎明本ではゾが担っていたWh疑問に、カシラヌが進出する(図表)
- 肯否疑問とWh疑問の両方がカシラヌを取るようになったわけで、ここに至って終助詞カシラが成立する基盤が出来上がったものと考えられる
雑記
- 学振の書き方記事書こうかな
*1:「AかBか分からない例がある」のはあくまでも内省が効かない人がゴールから見た場合であって、「AかBか分からなくなったからBに派生した」というのは(話者側はAかBかどっちかのつもりで使っているはずなので)因果として変だなといつも思う。