吉田茂晃(2007.2)〈カラ〉と〈ノデ〉に関するノート
吉田茂晃(2007.2)「〈カラ〉と〈ノデ〉に関するノート」『山邊道』50
要点
- 永野の「カラ=主観/ノデ=客観」という図式を離れて、カラが原因理由全体、ノデに使用制限のあるということの解釈を行いたい
- カラが可能でノデが不可能な以下の用法は全て上の図式から説明されるが、その「主観」の内実にばらつきがあるし、
- A 後件が主観*1/B カラダ。/C カラ。/D ~カラコソなどの提示/E 推量+カラ(ダロウカラ)/F ノダカラ
- G 客観的叙述 は「ノデのほうが好まれる」とは思えない
- カラが可能でノデが不可能な以下の用法は全て上の図式から説明されるが、その「主観」の内実にばらつきがあるし、
- ガ・ノニとの比較を通してカラ・ノデについて考える
- 「カラが広くノデが狭い」ことと、「ガが広くノニが狭い」ことは相似的
- e.g. 天気はいい{*のに/が}、花見には行かないでおこう
- Gには用いられるがA, Eには用いられないノデ・ノニは、〈二事態間の確定的な関係〉の成立を前提としていると考えられる
- その確定した関係について、以下の評価を与える形式である*2
- ノデ…前件と後件の関係のふさわしさを主張
- ノニ…前件と後件の関係のそぐわなさを主張
- ノによって体言化することで、「前・後件が不可変的・静態的な事態どうしとして結合されて、両件の関係が評価の対象となる」
- その確定した関係について、以下の評価を与える形式である*2
- 一方でカラ・ガは、「後件の意味的成立を促進または阻害する要因を表示するための形式」と考える
- 以下、この差異をもとにニュアンスの差、機能差、文体差について説明(5-7節、省略)
メモ
- 「ダロウノニ・ダロウノデはノの名詞化によって阻害される」と考える場合、ゼロ準体+助詞系の条件形式も同様に、名詞化してるから推量が入れないと考えなければいけない
- が、実際は、ウニ、定着前のウノニはOK(青木「のに」)であり、
- それに対し、確定条件についてはウデ、ウノデは(知る限りでは)NGで、そのばらつきが説明できなくて、困る
- 井島2011はダロウカラがいける現代語の方がむしろ不自然ということを言っているが、古代語でもムヲ、ムニがこのあたりをやれてるっぽいので、已然形にそれができなかったというだけだと思う