ronbun yomu

言語学(主に日本語文法史)の論文を読みます

山口佳也(2004.3)「連体形+ぞ」の文について:「源氏物語」の用例をもとに

山口佳也(2004.3)「「連体形+ぞ」の文について:「源氏物語」の用例をもとに」『十文字国文』10.

要点

  • 前稿(山口2003)で、連体ナリがノダ文同様以下の4類型に分けられ、いずれも「ある事態Xについて、そのことはとりもなおさずYという事態であるという意味を表す」ことを述べた

p.2

  • これは、ゾについても同様のことが言える
    • Ⅰ:この人をかうまで思ひやり言とふは、なほ思ふやうの侍るぞ。
    • Ⅱ:それは、老いて侍れば醜きぞ。(1例のみ)
    • Ⅲ:然あるにより、難き世とは、定めかねたるぞや。(題目を潜在的に持つ)
    • Ⅳ:(桐壺が不幸の運命を辿ったことを踏まえて、)かれは人のゆるし聞えざりしに御志のあやにくなりしぞ。*1
  • これ以外に、中世以前にも、(係助詞の文末用法ではない)「純終助詞的な用法の「ぞ」」*2が存在したと見られる
    • 憶良らは今は罷らむ子泣くらむそを負ふ母も吾を待つらむ(万337)
    • こうした例は、「意味的にも、本稿でいう「連体形+ぞ」の文とは認めにくい」*3

雑記

  • 1億語から始める大きな日本語学 刊行

*1:Ⅱとの違いがよく分からない

*2:近世以降のゾを終助詞として、それ以前のを係助詞とするのって、ただの便宜的な処理だと思っていたけど…(そもそもの係ゾ自体が終助詞からの派生なのだろうし)

*3:ノダ文・連体ナリはダロウノダ・ムナリができないというだけで、ゾはただのコピュラだから文包摂ができたと考えればよい?(終助詞か係助詞かという議論よりはこっちのほうがしっくりくる)