坂詰力治(1972.9)清原宣賢講『論語抄』における文末表現について:指定辞「ゾ」「ナリ」を中心として
坂詰力治(1972.9)「清原宣賢講『論語抄』における文末表現について:指定辞「ゾ」「ナリ」を中心として」『国語学研究』11.
要点
- 論語抄(宣賢抄)と論語聴塵におけるゾ・ナリについて、
- 聴塵においては文はナリもしくは動詞・助動詞で終止するが、抄においては必ずしもゾ専用というわけではない(ゾ:ナリ=6:3.5)
- が、それぞれに上接する語を見れば、聴塵は文語的(リ・ザリ・ベシ…)、抄は口語的(タ・ヂャ・ナンダ…)という目安自体は認められる
- 聴塵・抄においてゾ・ナリが混在することについて、
- 聴塵は手控であって抄物の意見を反映させる必要性がなく、「客観的な陳述能力」と自然に結びつくナリを採る
- 先行抄の引用・注の場合にはゾが現れる
- 聞書には、(講述するという行為によって)主観的なゾが現れると基本的には見るが、
- 手控のナリの部分(か、もしくは中国側注釈書を直接訓読したもの)が、抄にもナリとして現れるものと考えたい
- ただし、口語的な助動詞にナリが付くこともあるので、これだけだと説明が難しい
- 聴塵は手控であって抄物の意見を反映させる必要性がなく、「客観的な陳述能力」と自然に結びつくナリを採る
- 聞書におけるゾ・ナリの混在については、以下のように考える
- ナリ体の先行抄(業忠講、天隠竜沢筆記の『論語聞書』)をそのまま組み入れて置き換えたことによるものがある
- そうでない改変については(上の改変も含めて?)、
- ① ゾ・ナリを用いないものは、「そのまま受講者に伝達するにすぎない」もので、積極的な判断を行っていない
- ② ナリは客観的判断に基づいており、
- ③ ゾは講述者の判断が積極的にあらわれて、聴者への説得性・強調性がある
雑記
- ronbun yomanai