ronbun yomu

言語学(主に日本語文法史)の論文を読みます

杉山俊一郎(2016.9)古代日本語における「にして」の意味領域について

杉山俊一郎(2016.9)「古代日本語における「にして」の意味領域について」『訓点語と訓点資料』137.

要点

  • ニテとの比較と文体差を考慮しつつ、古代語のニシテの機能について考える。
  • 上代は、
    • ニシテが多くニテは少なく、
    • ニシテの用法は場所・時・状態に限られる。
  • 中古和文では、
    • ニテが多く、
    • ニテの用法が主体(ここにて)*1、手段(車にて)、原因(御物の怪にて時々なやませたまふことも…)に拡張する。
  • 平安~鎌倉の訓点資料では、
    • ニシテに数量限定(一遍にして)の例があるが、基本的には上代の枠内に収まる。*2
    • 意味拡張が認められないのは、訓読文ではニシテが拡張し得る領域に、それぞれ原文に対応する固定的な形式があることによる。
      • 資格はトシテ、手段・原因はヲモチテ・ニヨリテ、など。
  • これが、院政・鎌倉期の仮名交じり文になると、資格・手段・原因を表す例が見られるようになる。
    • これは、ニテに並立する文語的形式としてのニシテが、ニテに引きずられる形で新たに獲得した用法と考えられる。

p.13

雑記

  • 週休5日欲しい

*1:間淵2000では「動作主」はデの中での変化として扱われてたけど、ニテにも既にあるんだなあ

*2:「釜にして煮レドモ」の例を「釜」を場所と見て「手段」ではないという例外処理を(ニシテの機能が広くないことを主張するために)してるけど、13Cの例だし、素直に手段の例と見てもよいのではと思う