栗田岳(2014.12)連体修飾のム:「思はむ子」をめぐって
要点
- ムの連体用法を「被修飾名詞の非限定性」と規定する
ムの連体用法
- 先行論の問題。婉曲・仮定は説明として不十分
- また、高山(2005)の「非現実性標示」に関しては、
- そこにあらむ子はいかがなりたる(蜻蛉)のように、「人」に限定しなければ「特定の時空間でない」もの以外も見られる
- 今日この山作る人には日三日給ぶべし。またまゐらざらむ者は、また同じ数とどめむ(枕)のように、対になるのに「ム」の有無が異なる例の説明ができない
- 本稿ではムの連体用法を「被修飾名詞の非限定性」と既定する
- 「これにただいまおぼえむ古き言一つずつ書け」…「とくとくただ思ひまはさで、難波津も何も、ふとおぼえむことを」(枕)
- 言語化する時点ではどの古歌かは知りえない
- 「連体修飾のムに後続する名詞は、そこで修飾されている内容以上には、言語主体からの限定を受けない」と考える
被修飾名詞の非限定性
- カテゴリを4つ設けて、その間に連続性を認める
- 1甲:言語主体自身にとって肯定的な評価に値する事物の提示
- いかで思ふやうならむ人に盗ませたてまつらむ(落窪)
- 言語主体はその男を誰かに限定するものではない
- 1乙:言語主体自身にとって肯定的な評価に値する事物の提示かつ、非当事者的
- およぶまじからむ際をだに、めでたしと思はむを、(枕)
- 事物に直接的な関わりを持たない(非当事者的)点で1甲と異なる
- 2:肯定的評価でなく、非当事者であること(自分には関係ないが、という態度)が前面に出るもの
- 「…かくて人も仰せざらむ時、帰り出でゐたまへらむも、をこにぞあらむ。…」など、ものほこりかに言ひののしるほどに、(蜻蛉)
- 3:否定的情意で、自身からの切断を図るもの
- 父母の思さむこと、恥づかしくもあるかな(落窪)
- 思はむ子を法師になしたらむこそ、心苦しけれ(枕)は、2に該当