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言語学(主に日本語文法史)の論文を読みます

衣畑智秀(2012.1)日本語における話者指向性

衣畑智秀(2012.1)「日本語における話者指向性」『福岡大学日本語日本文学』21

要点

  • 金田一(1953)の「主観的表現」が示す「話者のその時の」という性質を「話者志向性」と呼び、
  • 話者志向性が種々の文法カテゴリに見られることを示す

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これまでの主観性

  • 金田一(1953)は意味と形式が一対一で対応すると考える時点で、話者志向性は形式に縛られた概念であった
    • 不変化助動詞の特性に話者志向性を認めてもよいが、話者志向性を不変化助動詞以外が話者志向性を持たないわけではない
  • 形態的なふるまいだけでは、「話者のそのときの」の意味は検証できない
    • 例えば、「ました」は丁寧さが過去のものであることを示さない、「だろうか」の「だろう」は「か」の作用域に入らない
    • すなわち「活用を持つ=発話時という要件を欠く」わけではない
  • 話者志向性は仁田・益岡のモダリティ論において再び取り上げられる
    • しかし、「真正モダリティ」「疑似モダリティ」の問題は、ある語がどのような環境で使われるか、というコンテクストレベルまで含んだ問題となっており、形式の意味に関する問題としては捉えられなかった

話者志向性

  • 当該の表現が話者指向的意味を持つか否かを、以下の点で判断
    • その表現の持つ意味が、その文の実際の話し手に帰着されねばならないか、
    • それとも、実際の話し手によって報告される他者の発話・信念に含まれ、その意味が実際の話し手以外にも帰着されるか
  • モダリティの問題として、
    • 例えば、う・命令形・だろうは、信念・発話動詞の補文に入らず、意味を現場の話し手以外に帰着できないので、話者志向性を持つ
      • *太郎は、富士山へ登ろうことを誓った。
      • *太郎は、次郎に、富士山へ登れことを命令した。
      • ??太郎は、雪が降るだろうことを予想した。
    • これは、次の形式が、当該形式の意味を補文主語に帰着できることと対照的(これらは非話者志向的)
      • 太郎は、富士山へ登るつもりであることを白状した。
      • 太郎は、富士山へ登るかもしれないことを告げた。
      • 太郎は、次郎が富士山へ登るらしいことに感づいた。
  • ダイクシスの問題として、
    • 次例は、「話者のそのときの」という話者志向性を持つ
      • 太郎は、がバカであることを認めた。
    • 太郎は、これが食べられないことを悔やんだ。
    • 太郎は、学校に昨日行かなかったことを悔やんでいた。
    • 一方、移動動詞・授受動詞の視点は話し手に固定されない
      • 太郎は、私のところにすぐに行けることを強調した。
      • 太郎は、私にお年玉をもらったことを誰にも言わなかった。
  • 敬語動詞の問題として、
    • 以下の例は「ます」が「こと」の内部に入ることを示すが、
      • 素晴らしい披露宴になりますことをお祈りしています。
    • 以下の例より、「ます」を主語による丁寧さとすることはできない
      • *山田さんは、素晴らしい披露宴になりますことを断言した。
    • 尊敬・謙譲語も話者志向性を持つ
  • 談話標識の問題として、
    • 「よ」「ね」などの終助詞、「えーと」「まあ」「うん」などの副詞的談話標識は信念・発話動詞の作用域に入らず、話者志向的
    • 「か」の問題に関してはKinutaha(2012)を参照

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  • 英語においては、
    • 法助動詞は報告文脈の作用域に入ることができ、話者志向性はない
    • 敬語や談話標識は日本語ほど発達していない
    • ダイクシスは日本語同様、対話者や対話の現場しか指せない
    • 日本語には見られにくい「規約的含意」*1の事例として、カンマ・イントネーションによる挿入句に話者志向性がある
      • Willie, luckily, won the pool tournament. / Willie luckily won the pool tournament.

のに・ても・けど の問題

  • 発展的議論として、「雪が降ってい{*るのに/るけど/ても}太郎は出かけるだろう。」を考える
    • pのにq:話し手が「pならば¬q」(雪が降っていれば出かけない)を真であると信じていることを含意しているので、pのにqだろう(qを信じる)ことは矛盾し、不適格文になる
    • pてもq・pけどqは、それを含意しないので可能
  • これは、pのにqにおいては「pならば¬q」が話者志向的であるが、pてもq・pけどqでは「pならば¬q」は話者志向的でない、と言い換えられる
    • 山田さんは、[花子が来ても太郎は来ない]ことを主張した。
  • 一方、「けど」は次のように、名詞句の中に入らないことがしばしばある
    • ??山田さんは、[花子は来るけど太郎は来ない]ことを報告した。
    • これは、pけどqの「pならば¬q」は話者志向的でないものの、pが話者志向的であることを否定するものではなく、話し手の判断を示すという点で話者志向的
      • 花子は{来るだろう/来た/来るかもしれない}けど、太郎は来ないだろう。
  • 「のに」は埋め込み可能だが、埋め込まれた場合には話者志向的でない(「のに」の持つ指標が信念・発話動詞の主語に束縛される)と考える
    • 山田さんは、[花子が来るのに太郎が来ない]ことに驚いていた。

*1:conventional implicature, 慣習的含意