青木博史(2010.6)「近代語における「断り」表現:対人配慮の観点から」『語文研究』108・109
要点
- 広義の近代語(中世後期~昭和前期)を対象として、「断り」の歴史上の変化を見る
- 断り表現の要素に「詫び」「理由説明」「断りの述部」(尾崎モデル)を設定し、これに基づいて分析
- すみませんが、○○なので、△△できません。
用例概観
- 虎明本では、「詫び」が見られない
- 詫びが近代以降に発達した=対人配慮という機能それ自体も近代語以降、という見方もできるが、「相手の要求に対し、一旦同意・受諾の意思を表明したうえで
断る」例や、感謝を表明した上で断る例が見られる点が注目される。これは、対人配慮の現れと言える
- 受諾可能性+理由説明+述部:やすひ事でござるが、只今申ことく、人のあづけ物でござる程になりまらすまひ。(ふじまつ)
- 同意+理由説明+述部:汝が云も尤なれ共、さりながらおぬしは事の外力もつよし、その上ひやうほうなどがよひ程に、たばからずはなるまひ。(ぶあく)
- 感謝+理由説明+述部:お心ざしは有がたふ御ざれ共、おんじゆかいをたもつて御ざる程に、なりまらせぬ。(地蔵舞)
- 断りにおける定型的な謝罪表現は中古・中世には見られない*1・高山2009*2
- 虎寛本では、受諾を表明する場合に、「かしこまり」の表現を使うものが見られる
- 畏ては御ざりますが、私は持病に皸が御ざつて、水を見ましてさへ六根へ染わたりまするに依て、是は御免被成て被下い。(あかがり)
- 畏ては御座りますが、私も今まで色々の療治を致いて御座れ共、お神鳴の御療治は終に致た事が御座らぬ。是は御免被成て被下い。(かみなり)
- 感謝は虎寛本の方が多く見られ、特に重ねて断る場面があることが注目に値する
- 「気の毒」という言葉によって「困惑」を示す断りの導入もある
- あれも成まい是も成るまいと申は、近来気のどくに御座るが、私は終に縄をなふた事は御座らぬ。其上たまなひまする縄も左り縄で、何の御用にも立ませぬ。是も御免被成て被下い。(縄綯い)
- 詫びの形式の発達を他の資料で見ると、
- 「気の毒」は19世紀な半ば:ソリヤはア、げへに気の毒なこんだが、かす事ハでき申シない。(古今秀句落し噺[1844])
- 「申し訳ない」は昭和以降:お金の件、お願いに背いて申し訳ないが、とても急には出来ない。(虚構の春[1936])
- 「すみません」も謹製には拾えない 「すみませんが、書類は何も持ちあわせていないんです。」(トニオ・クレーゲル[1949訳])
- これらはどれも、自らの困惑・不都合を表す表現から、相手への道場・詫びを示す表現へと変化したもの
対人配慮の発達
- 感謝については謝罪と逆で、相手へのかしこまりから自らの謝意を表明するものに変化
- 「中宮の御事にても、「いとうれしく、かたじけなし」となん、天翔りても見たてまつれど、(源氏・若菜下)
- 御返り御覧ずれば、「いともかしこきは、置き所も侍らず。かかる仰せ言につけても、かきくらす乱り心地になん。…」(源氏・桐壺)
- 感謝は古代語においては発達せず、感謝という対人配慮という機能を示すことが重要になったのは近代語
- 詫びも同様、謝罪の行為に対して定型的な言い方が近代語で発達したということは、対人配慮のあり方そのものが変化したものと見る
雑記
- 寒くなってきたのでお気に入りのジャケットを出したらなんか変なシミができててショック