渡辺由貴(2015.9)「文末表現「と思ふ」と「とおぼゆ」の史的変遷」『日本語文法』15-2
要点
- 近代に定着するモダリティ相当形式の「と思う」と、その前身の「とおぼゆ」について
問題と前提
- 発話者主体、非過去・非否定という条件で、モダリティ形式として用いられる「と思う」
- 明日は雨が降ると思う
- 現代語の「と思う」相当で、「と+思考動詞」の使われることが一定数用いられるので、そのうちの「とおぼゆ」について検討したい
- 「と思う」は、近代に定着、中世軍記には願望や意志表現を取るものが多い
- 以下の3類に分けて考える
- A 意志や願望:物ひと詞言はんと思ふぞ
- B 推量や疑問:うれしからふと思ふ
- C AB以外、終止形やタ、名詞、断定など:これはひとへに鼓判官がしわざと思ふぞ
展開
- 中古(源氏)は、
- 「と思う」はA類(意志・願望)に偏る(A10、B4、C2)
- 「とおぼゆ」は全てB類(推量や疑問)
- 中世においては、
- 「と思う」はA類に偏り、「とおぼゆ」にはAは見られず、B・Cが多い
- 「おぼゆ」は受身・自発のユを取り込んでいるので、自らの意志願望を述べるAを取りにくい
- 自らの思考を表す「と思う」と、外からの情報を近くする「おぼゆ」で、それぞれの動詞の持つ意味の違いが反映されている
- 文体的傾向として、硬い文体では「とおぼゆ」、やわらかい文体では「と思う」
- 「と思う」はA類に偏り、「とおぼゆ」にはAは見られず、B・Cが多い
- 近世においては、いずれもまとまった用例が見られない
- が、他方で「と思はる」が見られるようになり、これは自発・受身を取る点で「おぼゆ」と同等。これは地の文に現れるという点で*1出現傾向が異なる
- とおぼゆ→と思はる となった可能性が高い
- そもそもおぼゆ自体が古語化し、「おぼえる」が現代の「覚える」相当になっていた
- 近代においては、
- 「とおぼゆ」が衰退し、文語化
- 「と思う」は口語文において内部にC類(意志・願望・推量・疑問以外)を取る
- 凡二百ページ餘のものであったと思ふ(福翁自伝)
- 会話文内の推量の機能は「と思う」に引き継がれた
- すなわち(まとめ)、
- 中世までの「とおぼゆ」は外界の事物についての情報、「と思う」は話者の心のあり方を示す主観的表現
- 「とおぼゆ」は「おぼえる」が記憶の意に特化したことに伴い、衰退し、「と思われる」が引き継ぐ
- 「と思われる」は文章語的だったために、「と思う」が拡大した
雑記
- 鍋したいな