梁井久江(2009.1)テシマウ相当形式の意味機能拡張
梁井久江(2009.1)「テシマウ相当形式の意味機能拡張」『日本語の研究』5-1
要点
- テシマウのアスペクト意味内での拡張と、評価的意味への意味拡張について
問題
- テシマウが持つアスペクト的意味(広義の完了)
- 完遂:おやつを食べてしまってからにしなさい
- 実現:一日中あるき続けたから疲れてしまった
- 無意志的事態につくテシマウの意味
- マイナスの感情・評価的意味:窓ガラスが割れてしまった
- 無意志動作的意味:お酒を見るとつい飲んでしまう
- 前者から後者の拡張を想定する立場と、その逆の立場があるが、いずれも十分に論じられていない
- 「アスペクト的意味から他の意味へ」の場合、
- 継続動詞による完遂から、瞬間動詞による実現への拡張を想定
- 瞬間動詞による完遂の例(消えてしまった)もあり、おかしい
- 前接動詞の表す時間性に注目して検証する必要あり
- 不可逆的であることから評価的意味が生ずる
- これも再整理が必要
- 継続動詞による完遂から、瞬間動詞による実現への拡張を想定
- 「アスペクト的意味から他の意味へ」の場合、
動的事態から静的事態へ
- 本動詞シマウは鎌倉時代、テシマウは好色五人女[1686]以降
- 前接動詞の表す時間性を以下のように分類
- 1 静態動詞
- 2 運動動詞
- 2-1 限界動詞
- 2-2 非限界動詞
- 2-3 内的情態動詞
- 江戸語においては典型的な運動動詞に後接し、終了限界の達成を表す
- 実現:どこへか持てゐッてしまッた花がん袋と、羽織を持て来てくれろ(遊子方言)
- 完遂:家内の者は朝飯を食てしまつた跡だ(浮世風呂)
- 非限界動詞に後接するテシマウが発話時より後の事態をとるとき、開始限界の達成を表すことがあり、
ここから限界性が明瞭でない事態に使用されるようにもなり、内的情態動詞(動的展開が認められない)へ。この段階で、限界達成一般を表す形式として機能するようになる
- 惚てゐるふせうに了簡してしまふから、此後丹さんは私一人でかはいがるヨ。(春色辰巳園)
- 限界達成はさらに静的事態に比喩的に拡張され、静態動詞へ
- 我々は出征した当初とはまるで異ってしまった(土と兵隊)
マイナスの感情・評価的意味へ
- 話者が動作主と一致しない場合、マイナスの例が多い
- おれが唄ふ所、みんな取つてしまつた(浮世床)
- 次第に、動作主一致例においても、意志に基づかない動作にマイナスの評価が増加する
先行論の評価とまとめ
- 「完了からマイナス評価へ」は、いわゆる主観化に沿う傾向
- 文献上は完遂・実現は同時期に出始めており*1、その意味拡張は見出されない
- むしろ、シマウの終了の意が意味拡張への制約を与え、「終了限界の達成」へと限定させたことが重要
雑記
- 生年月日を入れると自分の履歴書の早見表を作ってくれるサイトを使いまして、学部在籍年数は8年まで選べるのに、学部卒までしか出してくれなくて虚しくなりました