野村剛史(2019.10)「ノダ文の通時態と共時態」森雄一・西村義樹・長谷川明香編『認知言語学を拓く』くろしお出版
前提
- 共時態のノダ文の説明は、言いっぱなしの傾向がある
- 中心的用法からの派生関係による説明は、何が中心なのか決定できないし、
- 統一的説明もまた、内容が希薄だったり、説明が強引だったりする
- 反証に対する言い訳が用意されているせいで、反証の有効性もない
- 通時態と共時態の峻別は多くの点で最もだが、たとえば「食べられる」と「食べれる」の2種の話者がいることを説明できない
- 何がその形式の原型であるのか、何が良い記述であるのかという基準を共時態は持てないが、通時態を考慮することでそれが可能になる
- ノダ文を事例に述べる
中古の連体ナリ文
- 筆者はノダ文の原型を次のように考える
- 解釈Aを受けた個体が、Bという個体であると解釈される、と考える
- これがノダ文・連体ナリ文ともに見出される
- 中古連体ナリ文の性格、以下6点
- (解釈A)連体形ハ(解釈B)ナリ型が比較的多い(現代語には~ハ~ノダは少ない)
- 主語側の「~ハ」は表面的な事態解釈を、述部側の「~ナリ」は内面的な事態解釈を表す
- [例ならず下り立ち歩きたまふ]は、[おろかに思されぬ]なるべしと…
- 命令・意志・強調のノダ文に相当するものはない
- 「洪水になったね」「上流でダムが決壊したんだ」のような、「一つの事態の再解釈」ではないような例がない(中古ナリ文の「一事態(性)制約」)
- 同一事態の重複的な表現が目立つ
- 原因・理由を直接示すナリ(暑ければにや)が相当数ある
- 原因・理由句付きの「~理由句~ナリ」も相当数ある
- これもやはり重複的内容を含むので、一事態性制約を受けている
- 以上より、連体ナリ文は以下の図式を持つ
ナリ文からノダ文へ
- ノダ文のいわゆる「本質」を、歴史的変化の順序で評価すべきである*1
- 命令・意志・強調などは、中心的記述からは外され、これを含んだ一般的記述は行ってはならない
- 原因・理由を事情説明に使うノダ文(決壊したんだ)も同様に外される
- ノダ文の意味記述は次の図式の矢印にしたがって行われるべきである
- 一方、通時態側の困難として、
- そもそも連体+ナリ→連体形+ノ+ダの移行に否定的な研究もある(信太、福田、土屋説など、連体ナリの衰退時期と準体ノの使用開始時期に開きがある)が、
- 室町の「名詞節+繋辞」→「連体形+ノ+ヂャ」と考える説もある(青木説)
- 連体ナリ文とノダ文は似すぎているし、ノを後接しない終止連体形が常に準体と認められる可能性を考慮すれば、「連体+ダ」もノダ文的解釈が可能であると考えてよい
雑記
- Win+Shift+S 忘れがちだけどとても便利である
*1:「そのままでは「言ってみただけ」という共時態の仮説に大して、通時態はそのリアリティを保証したり否定したりする」、すごく野村先生節が効いている