佐佐木隆(2014.1)「散文と韻文のミ語法」『国語国文』83(1) ※同(2016)『上代日本語構文史論考』おうふう による
前提
- ミ語法に関する根本的な問題
- 散文に見えるミ語法の用法がどのようなものであるかを考える
宣命のミ
- ミ語法は通常、原因理由を示すと考えられるが、ハズカシミ・イトホシミが「思ほす」の理由となるわけではない
- このように、宣命では継起的な関係を持たないもの(「恥ずかしみ」と「思ほす」だけ)がごく一般的である
- 上例は散文専用のナモを含む歌であるが、~ミナモ以外も全て助詞を承ける
- トナモ、テナモ、トシテナモ、ヲナモ、バナモ、カトナモ…
- このことから、ミ語法のミを助詞に分類する(岩波古語辞典)のも十分に妥当である*1
- し、「貴み…おもひ…」の例(15詔)も、同様に動詞連用形ではなくミ語法として解釈できる
- ~ミ恐みます の例もこれに準じて理解される
- 原因・理由のミの文は、むしろ少ない
万葉集のミとの比較
- 述語の内容をミが具体的に表すタイプの「ミ思ふ」のミも、万葉集にはいくらかあり、
- むしろ述部を「省略したとも解しうる」ミトの例が多いが、宣命にはミトの例がない
- また、序詞にミが含まれるのも、もちろん散文にはあり得ない
雑記
- あとがきに「望まぬ中途半端な役職によって日々の生活が大きく変わってしまったから」「全休的に不毛な期間」を過ごしたとあり、悲しい気持ちになった
*1:「他も助詞だから助詞」と言ってしまってよいか?「補充成分を作るものしか来ない」ことの方が大事なのでは。