鈴木英夫(1985.5)「「ヲ+自動詞」の消長について」『国語と国文学』62(5)
前提
- 「腹を立つ」の疑問から出発して、
- ヲ+自動詞の消長について考える
ヲ+自動詞
- Ⅰ「太郎が川を渡る」類には消長はない
- 自動詞の移動動詞がヲ格を取る場合、自動詞主語が他動詞の目的語と一致するもの
- Ⅱ「眼をあく」類(身体部位の動きを表す自動詞)は、明治以降消滅、もしくは現在衰退中
- a AガV(自) / b AガBヲV(自) / c AガBヲV(他)
- b「太郎が眼をあく」は、「太郎が川を渡る」と同様、自動詞であると考える
- 動作主体の「眼」は「あく」「あける」ともに成立するが、これはさほど意識的な行為ではなく、あまり違いがない。これは「腹を立つ/立てる」も同様
- 他、「眼を眠る」もそう
- 結局、ヲ+他動詞の結びつきが強くなった結果、Ⅱのヲ+自動詞が衰退したと考える
- 近代を通して「眼をあく」は漸減し、「あける」「ひらく」が増える
- Ⅲ「話を終わる」類(継続する事柄を表す)は、自動詞ではあるが、対象格的性格を持つ
- 「を終わる」の言い方は新しいものだが、翻訳によって生じたのではないか
- 口供をフヒニツシユ〔完結/をはる〕したまへ(当世書生気質)
- その他、かわる、うつる、はずれる、等の問題になる語について述べる(略)
- 「たれる」は「~をたれる」が元で、江戸期に「~がたれる」が生まれたか
- よだれをたるる/よだれをたらす(日葡)
雑記
- あっちゃん大学問題、あんまり他人事と思えない(賛同者の声がでかくて奇異に見えるが、割と多くの人々がそういうスタンスだと思う)