新沢典子(1999.3)万葉集における希望の終助詞「な・ね・なむ」について
新沢典子(1999.3)「万葉集における希望の終助詞「な・ね・なむ」について」『美夫君志』58
要点
- ナ・ネ・ナムについての問題、
- ナ・ネは実現可能性の髙い希求、ナムは低い希求を表すとされるが、反例は多く、ナ・ネが中古まで残らないことの説明もできない
- また、単なる時代差としても見ることができない
- 万葉集のネ・ナムについての分析、
- ネは5, 4句に偏り、ナムは2句に偏る
- ネは希求の対象(e.g. 我が背子)を明示しないが、ナムは明示する
- ネは動作に、ナムは状態性述語につく
- この傾向は、ネが「相手に直接呼びかける」性質を持つことに基づくと考えられる(そのため、ネの内容は実現可能なものに偏る)
- ナとネは願望と希求を分担するが(濱田敦)、ナも歌の末尾に集中する点において、「対面を前提とした口頭語的性格」を持ち、ネと共通する
- ナムはマシとの呼応例があることによって実現可能性が低いものとされてきたがその例は少なく、実現可能性が低いように見えるのは、上接用言に状態性述語が来やすいという性質によるものと考える*1
雑記
- 上代文学の先生がしばらくいないので、美夫君志が大学にない
*1:状態性述語が来やすい理由はなんだろう、因果が逆?