ronbun yomu

言語学(主に日本語文法史)の論文を読みます

小島和(2012.1)キリシタン資料における助詞ヨリの「主格」用法について:コンテムツスムンヂを中心に

小島和(2012.1)「キリシタン資料における助詞ヨリの「主格」用法について:コンテムツスムンヂを中心に」『上智大学国文学論集』45

要点

  • ヨリについての説明のズレについて考える
    • 大文典(やアルバレス)はヨリに主格と奪格を認めるが、
    • 日葡は奪格、比較の助辞とし、
    • 小文典もヨリを主格と認めない
  • 文法書において、
    • 大文典は上述の通りであるが、後半部に至って、ヨリ・カラの主格の用法を、受身の動作主標示として説明する(すなわち、説明に修正を加えている)
    • 小文典も上述のとおりだが、「名詞と基本代名詞の曲用について」では主格用法に触れつつも、奪格に相当する説明を行う
  • 白井(2001)の主張、
    • キリシタンに至ってヨリ主格が増えること
    • 場所を標示するという制約がなくなったこと
    • 上位待遇にタマフを用いるキリシタンの宗教文献で、(ラ)ルとの混乱を避けるために積極に用いたこと

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  • その問題、
    • 日葡や小文典に記述がないこと
    • 宗教文献類にあるのに世俗文献類や、その後の近世文献にはないこと
  • この主格ヨリは、翻訳という成立過程が大きく関わると考える
    • コンテムツスムンヂのヨリのうち、能動態の動作主(主格)例の原文を見ると、奪格14、主格11、属格5
    • 原文が主格の場合、はじめから助詞ヨリの主格用法として訳出したものと考えられるが、奪格の場合はそれを上回る
    • すなわち、キリシタンの主格ヨリの多くは、翻訳の影響を受けて現れた、特異なものであると見たほうがよい

雑記

  • 上智リポジトリ、本文どころかかがみのページも画像扱い(?)でコピペできず、不穏な気持ちになる