ronbun yomu

言語学(主に日本語文法史)の論文を読みます

豊島正之(1982.2)初期キリシタン文献の文語文に見える「ともに」について

豊島正之(1982.2)「初期キリシタン文献の文語文に見える「ともに」について」『国語と国文学』59-2

要点

  • 現代語トモニの2用法
    • 同格の場合にトモニ:AとBはともにデパートに買い物に行った
    • 同格でないときにトトモニ:AはBとともにデパートに買い物に行った
  • 中世後期~近世文語も同様だが、まれに同格でないトモニの例がある
    • 激しい行動、存在の極端な変化:かの中将は、また、夫婦(妻)ともに貴船の宮と現はれて(貴船の本地)
    • 大きい数に小さな数を加えた合計」薩摩守忠度は…侍五騎、童一人、わが身共に七騎取て返し(覚一本平家)
  • ところが、キリシタン文献の場合はこの条件だけでは律しきれない
    • 全く激しくない動き:ある時、サンジヨアンともに~ゼズキリシトの通り給うに
    • 同格でないトモニは、「従属して行動・存在する」という傾向が見いだされ、これはキリシタン以外の諸例を拡張した用法である
  • この拡張の背景については、よく言われる「翻訳臭」の問題があり、
    • cf. ノタメニがポルトガル語 por の影響でニタイシになっている
    • このトモニも同様の翻訳臭に数えられるかもしれない(例えばポルトガル語 com)が、
    • 直訳によるものではなく、「ポルトガル語等との接触によって、従来の日本語が明示しなかった点をも明示して表現する様になった為」であると考える

雑記

  • 忙しいわりに1~6月欠かさずやって、偉かったですね
    • この方法が最良だとは思わないけどやんないよりはやるほうが断然いいですね