ronbun yomu

言語学(主に日本語文法史)の論文を読みます

大坪併治(2008.9)石山寺本大智度論古点における「誰……者」の訓法について

大坪併治(2008.9)「石山寺大智度論古点における「誰……者」の訓法について」『訓点語と訓点資料』121.

要点

  • 石山寺大智度論[858~]には、「誰…者」の構文が登場し、「たれか…するもの/ひと」と読む。
    • 誰か当に治せむ者[もの]。
  • これが定着することで、モノ・ヒトを補読する例も現れる。
    • 誰か阿耨多羅三藐三菩提に廻向するひと。
  • これは意味的には「誰が~するだろうか」の意であって、単に「たれか…する。」と読めばよいので、直訳によって生まれたいわゆる「翻訳文法」の一種である。
    • 今十方の天地に、誰か尊事(す)可(き)者[もの]。
      • 「十方の天地に、誰か尊敬して師事することのできる人は居ないだらうか」で、単純な疑問。冒頭の例のように反語を含むものもある。
    • 稀に「者」を読まない例もある。
  • 「者」字のある方がない場合とくらべて、強調の効果があったものと思われる。『古代漢語虚詞通釈』や『漢語文法論』*1など。

雑記

*1:そうか、読めるのか… https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2526118