ronbun yomoː
この記事は、言語学な人々 Advent Calendar 2022 の5日目の記事として書かれました。
はじめに
論文を読んで箇条書きにするだけのブログを始めてもう4年半ほどになるみたいで、自分でびっくりしています。専門は日本語文法史で、それに関係する論文を中心に読んでいるのですが、誰かに強制されているわけではないので時折怠けて休むこともあります。
今日までの投稿は810件ちょっと。ronbun yondenai 記事もあるので、だいたい800本ほどは読んだということになります。
Advent Calendar というよい機会をいただいたので、このブログをやっていてよかったことと、よくなかったことを思いつく限り挙げてまとめて、総合的に見れば継続して ronbun yomu 方がいい、という話を書きます。
よくないこと
A but B では Bに重要な内容を書けと教わったので、よくなかったことを先に書きます。
強迫観念と罪悪感
忙しくて無理~!ってなったときに一旦やめてしまうと、どうしても罪悪感を抱いたまま日々を過ごすことになります。しかし、別にブログなんてやってなくても休んでれば罪悪感はあるし、ちょっとくらい強迫観念でもないと勉強しないので(ダイエットを周りに宣言するのと似ています、これでちょうどよいとも言えます。
長い論文・難解な論文を避けがち
「記事にする」ことを目的化しすぎてしまうと時折こういうことが起こります。実際はさすがにそこまでアホではなくて、長い論文はざっと読んで、難しい論文は頑張って読んで、その後、内容を忘れてることが多いです。
「負のリーディングリスト」が作れない
論文をdigっていると結構な確率でなんやこれというのに出会います(よね)。研究の中で引いてなんやこれと書く分にはいいんですが、匿名のブログで単にマイナスな感想を書くのは避けたいところです。しかしそうすると、後述するリーディングリストとしての機能を果たさなくなります。が、これはブログという形態を取らなければ生じない問題です。
その他
- なまじアクセス数がそこそこあり、hatena のドメインも信頼度が高いので、研究者の名前を検索すると引っかかることがそこそこあります。検索の邪魔になっていたらすみません。
- 独自性のあるレビューのようなことをしているわけではなく、ファスト映画ならぬファスト論文的なところがあるので、出版社から出版された論文集に入っているものの扱いに悩むことがあります。一旦よけている間に論文フォルダに新しいファイルがどんどん溜まっていって、存在を忘れてしまうことが多くて困っています。
- 毎日論文読んで当たり前勢からすると、当たり前のことをわざわざ開陳している愚か者に見えることをやっているという自覚があります。もしそう思われていても、私は他の方法を取れないので仕方のないことです。
- 特に院生のときはスキャナの前に立ち続けて腰を悪くしていましたが、色々なものがインターネットに公開されるようになると、この労力が無駄になる可能性があります。*1
よかったこと
上に書いたのはどれも性格的な問題だったりブログという体裁をとるから起こる問題だったりして、当然、よいことの方が断然多いです。
テーマが広がる
先行研究を読むのはさすがに当たり前なので、できるだけ「今やっている研究と直接関係する論文」は記事にしないようにしています*2。至極当たり前のことですが、これが後々の研究の先行研究になったり、新しいテーマの着想になったりします。
具体的な例をいくつか挙げておきます。大きなところでいうと、博論提出後に研究の方向性を少し(博論の延長にならない程度に)シフトしたのですが、それまでに読んでおいた分の蓄積と、就職後にいただいた長めの発表の機会がなかったら、これはあり得なかったことだと思います。 今年グループで出した科研も yomu してなかったら申請できてないタイプのもので、ちょうど数日後に出る、ちょっとレビュー論文っぽい内容を含む論文ももうちょっと浅い内容になったはずです。
とはいえ、これは研究テーマの広げ方としては本当に当たり前のことであって、それを単にインターネットの海に開けっ広げにしているだけのことかもしれません。
「目は通した論文」が増えた
これは院生の頃から持っていた習慣ですが、新着雑誌・新着図書や出版社のサイトの新刊などに一通り目を通すようにしています。これをもっと意識的にやるようになったので、おそらくは研究の見落としが減りました。
上に「だいたい800本ほど」と書きましたがこれは記事化したものの本数であり、スキャン・ダウンロードした論文をぶちこむフォルダには2018年6月以降で3000個くらいPDFがあって、これ以外に読んだ分、スキャンしてない分なども含めれば、もっと目「だけは」通している…ということになります。
「確かあそこにあんなのが載ってたな」というのがとても大事だ(から、本はいくら買ってもよい)というのは研究者が共通して持っている感覚だと思いますが、教育する側に回るとまた別の側面で大事になるというのをしみじみ感じます。興味があんまりない研究にも一通りは目を通していないと、十分に情報提供が出来ないです。
リーディングリストができた
元々、エクスプローラーでアプリを使ってファイルにタグ付けするのは永続性がなさそうだし、Evernoteは操作性に不満があって、でも使いやすいGoogle Keepはシンプルすぎて論文の整理には向かない…という事情があって、じゃあブログでやっちゃおうと思い立ったのが、始めた理由の一つでした。*3
なお、今はNotionというベリーベリーグッドなツールがあって、ac.jp のメールアドレスがあれば有料プランも無料で使えます。
記事にカテゴリーをつけておくと、こんな感じで整理ができます。そして自分が、室町~近世語の研究が好きなんだということにも改めて気付かされます。
小さい頃からなんでも忘れるタイプで、読んだかどうかもどんどん忘れていくので、過去に読んだことがあるかどうかを確認できるのはありがたいことです。そのうち、以前記事にしたものをまた記事にするのをやらかすと思っているのですが、現状起こっていないか、気付いていません。*4
講義資料の貯金ができる
概論であれば、何か特定のテキストを使うなり概説書から寄せ集めてくるなりしてなんとか15回分の構成ができますが、もうちょっと専門的な内容、例えば文法史で15回やろうと思うと、概説書や講座物だけではきついところがあります。かといって大学院を出たばかりだと、自分がよく知っている内容だけで15回やるのも無理です。(このへん、皆さんどうしてるんでしょうね?)
研究と直接関係しているようでしていない、しかしちょっと関係はしているような論文を読み続けていると、結果的には(狭い意味での)隣接分野についての貯金を常に続けている状態になります。これは講義資料を作るときに大いに役立って、度々過去の自分に感謝することになります。
その他
- あんま面白くないと思ってた分野を面白く感じるようになりました。私のことを知ってる人からすると信じられないかもしれませんが、院生の頃にはモダリティ研究にあんまり興味がありませんでした。
- エアロバイクを漕ぎながら論文を読むと痩せて、健康によいです。
- ひた隠しにしているつもりもないんですが、顕名でやっているわけでもないので時折身バレします。お前やろ?と言われるとだいたい面白いです。
- いらすとやにありそうないらすとが分かるようになって、こう検索したらこれが出るだろうな」という肌感が身につきました。
おわりに
最初は「読まなきゃいけないものが多すぎる」「だから、継続して論文を読みたい」「輪読的なやつをやりたかったけど友達がいない」「慶應の堀田先生のブログがすごい」*5「黒柳徹子氏の「ピアノを今日始めれば10年後にはピアノ歴10年」の逸話を読んだ」などの複合的な理由があって突発的に始めたのだと記憶しています。得るものの方が多いので、今後もなんとか、合間を縫って休まず休まずやっていけたらと思っています。
職に就くとまとまった研究時間(調査や分析、アウトプットにかける時間を指す)を取ることができなくなり、まとまった研究時間を取ることができない人は大抵の場合、まず最初にまとまった勉強時間を取ることをおろそかにしてしまいます。一方、インプット不足のままアウトプットを求められることがちょくちょくありますが、これは腸が空の状態で腹パンされるようなものであって、とても辛いことです。
健康は毎日の食事から。来年の計は12月にあり。この記事を読んでやる気が出た方は…是非、始めてみてください。
雑記
- 他に以下の候補がありました。上はそのうち公開します。
- インターネット上で閲覧できる抄物影印類の底本
- ブラウザ上で触れるGAJ(続)