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言語学(主に日本語文法史)の論文を読みます

吉田永弘(2016.2)「る・らる」における否定可能の展開

吉田永弘(2016.2)「「る・らる」における否定可能の展開」『国語研究』79

これとセット hjl.hatenablog.com

要点

  • 吉田(2013)の肯定可能の分類によって否定可能の分析を行い、肯定可能と並行的に推移していることを明らかにする

肯定可能の展開

  • 上記事参照
    • Ⅰ既実現の個別的事態
    • Ⅱ恒常的事態
    • Ⅲ一般論
    • Ⅳ未実現の個別的事態
  • 本論では次のようにまとめられる
    • Ⅰ・ⅡがBに、ⅢがCに、ⅣがDに対応
望み 実現 実現の仕方 時期
A 自発 非意志的 中古
B 既実現可能 非意志的 中古
C 既実現可能 意志的 中世
D 未実現可能 - 近世
  • これを否定可能に当てはめる*1
望み 実現 実現の仕方 時期
A 否定事態の自発 非意志的 中古
B 既実現不可能 非意志的 中古
C 既実現不可能 意志的 中世
D 未実現不可能 - 近世
  • A 否定事態の自発
    • またいと寒くなどしてことに見られざりしを[=眺める気分にもならなかった](更級)
    • 「否定的な事態が生じる」ものを自発の否定形として捉える
  • B 既実現不可能(非意志的)
    • 入りたまひて臥したまへれど、寝入られず(源氏・花宴)
    • 「実現させたいが、実現できない状態」
  • C 既実現不可能(意志的)
    • 抜かむとするに[←意志あり]、大方抜かれず。(徒然)
    • 「実現させようと思って、実際に行動に移したが(努力したが)、実現できない」*2
  • D 未実現不可能
    • ま一度もどつては[←仮定的]、親兄弟、人中へ顔が出されぬとはしりぬいて、火に入ほねをくだかるゝ共帰るまい。(心中宵庚申)

史的展開

  • 中古はA・Bに限られる
    • 実現の仕方に関して、「思ひ出づ」「忍ぶ」など、非意志的な動詞に偏り、意志動詞であっても意志的な文脈でない
    • 「意志的に試みたができない」ことを表す場合には「え~ず」を用いる
      • まねべども、えまねばず。(土左)
    • 実現の有無に関して「できない」事態は実現している
    • 「目には見て手には取られぬ月のうちの」(伊勢)など、恒常的事態も既実現の事態(→吉田2013)
  • 未実現の事態は「(ら)れず」ではなく「(ら)れじ」で表す
  • 中世に入って、意志的用法(C)が発生
    • 今昔には、意志的な文脈における意志動詞の例あり
      • 飛バムト為ルニ、身猶少シ重クシテ、不被飛ズト見テ、夢覚ヌ(今昔)
      • 未実現事態に関しては従来通り「じ」を用いる必要あり
  • 未実現不可能は中世後期から近世にかけて発生
    • おきてハうたハれませぬ(虎明本・ねごゑ)
    • 肯定可能の場合にムを用いずに未実現の事態を表すことができるようになったことと、「まい」を用いずに未実現事態を表せるようになったことが並行する
      • 「うたへ。きかふ」「たゞはうたハれますまひ程に、酒をくだされてからうたいまらせう」(虎明本・ねごゑ)
  • 吉田(2013)のⅢ「一般論」に関しても、同様の経緯を想定できる
    • 中古(非意志的・既実現):色といへば濃きも薄きも頼まれず山となでしこ散る世なしやは(後撰集
    • 中世(意志的・既実現):いかに詠まんとすれども詠まれぬ時も有る也(正徹物語)
    • 近世(意志的・未実現):フツト思モヨラヌ事カデキタラバ、祝テモ祝ワレヌ事ゾ。(史記抄)

*1:表2に結論を追加

*2:「伏せたけど寝られない」については「「寝入る」は努力によって実現の可否が決まる行為ではない」としつつ「抜こうとしたが抜けない」には「「抜く」動作を努力して試みているので意志的」として意志性を認めるのはなんだかしっくり来ない。「抜こうと思って頑張っても抜けない状態」なのだから、意志動詞であっても文脈環境としては源氏の例と同じものとして処理するほうがよいように思う。うまく説明できないが…