ronbun yomu

言語学(主に日本語文法史)の論文を読みます

京健治(2003.12)否定過去の助動詞「なんだ」に関する一考察

京健治(2003.12)「否定過去の助動詞「なんだ」に関する一考察」『語文研究』96

要点

  • 否定過去のナンダの成立と、特に連用形ナンデ、並立助詞的ナンダリに注目しつつ、
  • ナンの由来にはヌアッタ説を採る

前提と問題

  • ナンダ→ナカッタへの交替については詳しい考察があるが、ナンダそのものの成立については十分でない
  • ダが過去のタリ由来であると考えると、
    • 「貸さなんでござるに」のような連用形の例が問題となり、
    • 並立助詞的な「知ったり知らなんだり」の例も注目される

ナンダの成立と展開

  • キリシタン資料には終止形・連体形の例が多く、
  • 史記抄には「ナンダシ」の例が見える。これは、タリ+シで一語的な助動詞になっているもので、延慶本のナムシも注意される
    • ナムシ→ナンダリシ→ナンダ という変遷過程か
  • 後世にはナンダレ・ナンダラがあるが、これはナンダ成立後、タに倣う形で再度活用を持ったものか
  • 連用形ナンデの例はほぼ「ナンデゴザル」の例
    • これは、マスルが一般化する以前のテゴザルしか使えない状況下にあって、ナンダを丁寧化しようとしたときにナンデゴザルの形しかとり 得なかったことによる*1
  • 近世に並列で用いられるナンダリは過去の意味を持たないが、これは並立助詞ツ・タリと並行的に捉えられる
  • ナンについては、上代東国のナフ説もあるが、ヌアッタ→ナッタ→ナンダと見るのがよい
    • 玉塵抄にナッタが見られること、また、叡山本で国会本のナッタをナンダとする場合があることも考慮する
  • ただし、ナッタ→ナンダの音変化には問題が残る

雑記

  • ナンでござる

*1:説明になってないのではないか?

北原保雄・大倉浩(1997)言語資料としての『外五十番』

北原保雄・大倉浩(1997)「言語資料としての『外五十番』」『狂言記外五十番の研究』勉誠社

前提として第2章「所収曲について」

  • 外五十番は複数台本に依拠している
    • 一部は虎明本に近く、古態を示すが、
    • 一部は和泉流三宅家の三百番集本に近い、新しい面も見せる

音韻

  • 四つ仮名・開合は区別されておらず、語による統一意識があるのみ
  • 濁点が多く付されており、特に「む゛ゑん」の例が注目される
    • 当時のバ行子音の音価がマ行に近かったことを背景として、よりブに近い発音を示そうとしたものと見られる
  • 連声表記はわずかに見られる程度で、固定した表現がわずかに「狂言らしさ」を示す
  • 短呼形は狂言記の中で最も少なく、外五十番のもととなった台本のふるさに原因があるか

台本の集成としての外五十番

  • まずマスル・マラスルについて、
    • 口語的でないマラスルが外五十番には見られ、これは虎明本以前の台本との関連を示すが、例数だけで言えばマスルの方が多い
    • 曲ごとの偏りを見ると、マスル専用の曲が13曲あり、マラスル専用の曲はない(天理本・虎明本はマラスル専用曲が多い)。三百番集本(以下「三百」)に近いとされた9曲はマスル専用曲である
      • 外五十番が複数台本に拠ることが確かめられる
    • 三百系の曲と他の曲ではマスの活用にも違いがある
  • 連声・短呼がわずかにあった例も、やはり三百系の曲のものである
  • 新しい尊敬の助動詞シャル・サッシャルは三百系の曲にしか使われていない(それ以外はシラルル・サシラルル)
    • いちだんと(三百)/いちだん(それ以外) に偏りがあり、虎寛本で「いちだんと」に統一される方向性と一致する
  • スレバ、ヤアサテ、応答のハ・ハツ(ハアが古形)も三百系のみ
  • 三百系の曲の名乗りは「是は~ござる」か、「かくれもない大名」のような簡略な名乗りのみ
    • 「罷り出でたる者は」がもともと大蔵流固有で、これらの曲が大蔵流から遠いことを示す
  • この差異は語法面でも同様であり、
    • 一段化率は三百系がむしろ低く、語法面では江戸初期の状態が現れている
    • サ行イ音便は三百系が他の狂言記に比して高い(古い傾向)が、これは特定の動詞にイ音便が現れるためで、用語を整理した固定期の影響と考えられる
    • 助動詞「よう」が三百系に見られる
    • ホドニ→ニヨッテの交替については、三百番系以外の曲に、ホドニ・ニヨッテの周辺にあったとされるトコロデが多用されることが注目される。これは、江戸初期の短い期間に限られた位相で多用されていたものが影響したか
    • ゴザナイは三百系には見られず、ゴザラヌ(新しい形)しかない
    • 助動詞シメ・サシメも同様で、三百系には新しいシマセ・サシマセしか見られない

雑記

  • これをちゃんと読むための狂言記シリーズでした。6月よさようなら

北原保雄・大倉浩(1997)『狂言記外五十番』について

北原保雄・大倉浩(1997)「『狂言記外五十番』について」『狂言記外五十番の研究』勉誠社*1

要点

  • 狂言記他3種と性格の異なる外五十番と、他3種の関係について

狂言記の刊行と性格

  • 以下の順に刊行されている

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p.540

  • 特筆すべきこととして、
    • 外五十番と続狂言記は一連の企画のようにも考えられるが、それぞれ独立したものと見るべき
    • 正篇・続・拾遺はのちに再刊されるが、外五十番がセットとなった事実は認められず、現存するものも少ない
    • 正篇~拾遺まで70年開きがあるにもかかわらず体裁が変化しなかったのは、正篇や続の再摺が続いたという事情による
  • 池田廣司説による狂言記の位置付けは以下の通り
    • 正篇は大蔵流配下の群小諸派の台本に拠るか
    • 外は固定前の大蔵流やその弟子の三宅家に拠るか
    • 続・拾遺は固定期の大蔵流を反映した町風の台本に拠るか
  • しかし、一系統の台本に拠るだけでは五十曲を集めることはできないだろうし、「手を尽くして様々な狂言台本が集められて出版されたものと考えたほうがよい」

外五十番と続狂言

  • 外は元禄13年5月、続は元禄13年9月の刊記であり、ともに正篇に倣ったのは確かだが、両者の関係がはっきりしない
    • しかし、重複がないのでAは採れないし、
    • 相違が多すぎるのでBも採れない
  • 『続狂言記の研究』ではCを想定したが、それを発展させ、Dを想定する

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p.544,545

  • すなわち、横本になる前の万治3版正篇を踏襲したのが外、元禄12版正篇を踏襲したのが続ではないか(以下の理由3点)
    • 版型:外は半紙版(寛文版と同様)、続は横本(元禄版と同様)
    • 挿絵:外は各曲に挿絵がある(万治版・寛文版と同様)、続は一曲おきに挿絵がある(元禄版と同様)
    • 識語:外は識語があり、ほぼ万治版正篇と同様、続には識語はない
  • 外と続の書肆は共通しないが、元禄版正篇の書肆3人のうちの2人が外の書肆、1人が続の書肆である
    • 元禄版の書肆がたもとを分って競合して刊行したのではないか
  • 名称についても、四種が一貫した企画でないことを示す
  • 底本については省略
  • なお、明治以降においても外五十番は他3種と別扱いされている
    • 幸田露伴編『狂言全集』(1903)では触れられることすらなく、国民文庫の『狂言全集』(1910)で初めて活字化
    • 本文の翻字は杜撰であり、外を4番目に置くという誤った順序も後の活字本に踏襲されてしまう

雑記

  • いい序文である

    私が筑波大学の大学院で初めて狂言記を取り上げたのは、確か昭和五十五年のことであるが、大倉君はその時の院生である。大倉君は「狂言記」を課題として研究を進める傍ら、『狂言記の研究』の「本文篇」「索引篇」の作成を実質的にほぼ完遂したのだった。『狂言記拾遺の研究』の共著者吉見孝夫君も、その授業に出席していた院生である。そしてもう―つの『続狂言記の研究』の共著者小林賢次君は、私の院生時代からの友人であり、最も信頼する真摯な研究者である。私は、ほんとうによき共著者に恵まれている、とつくづく思う。

*1:序文によれば、「今回は、「解説篇」も新しいところはほとんどすべて大倉君の研究成果によるもの」

北原保雄・吉見孝夫(1987)言語資料としての『狂言記拾遺』

北原保雄・吉見孝夫(1987)「言語資料としての『狂言記拾遺』」『狂言記拾遺の研究』勉誠社

要点

  • 狂言記拾遺(1730刊)の言語的特徴と狂言記内での位置付けについて

注意点と流派的な位置付け

  • まず、狂言記が読み物として刊行されたことに留意すべき
    • 「これへよってはよふうて長刀も下におこふ」は、台本であればト書きでよいが、狂言記は他の台本と比べてト書きが非常に少なく、セリフにすることが多い
  • 編纂過程が明らかになっていないことも念頭におくべき
  • 依拠した台本がどの流派であったかについては、以下のようにまとめられる
    • 虎明本にある曲は虎明本に最も近い
    • 一方、六義抜書、保教本からの近い箇所があるものもあるが、その多くは、虎明本の側に誤記があることによる
    • すなわち、虎明本の方に改変があり、拾遺が虎明本よりも遡る本文を残すことを意味する

音韻

  • 四つ仮名・開合は続と同様、同音になっているものに対する書き分け意識が認められる
  • 連声は正篇(明示的)と続(一例のみ)の中間に位置する
  • 合拗音は保たれている
  • 清濁は正・続と異なり、濁音箇所に濁点がつかない例が多く、清濁の判定に寄与するところは小さい

活用

  • 短呼形は正・続同様に見られ、性質は正より続に近い
    • 正は広範な動詞に現れるが、続は異なり語数が少ない。拾遺はその中間
    • 正は形容詞の例がわずか、拾遺は広く、続はその中間、など
  • 音便について、
    • サ行イ音便は少なく、「刺す」にのみ見られる(これは続と符号)
    • バマ行ウ音便は中世後期ほど強く保持されない
  • 下二段命令形の形態に「申し上げい」「申し上げ」の2種があるが、ル系の下さる・なさる・召さるはe形の比率が高い
    • これは正に少なく続に多いので、拾遺の続との近さが認められる
  • 二段活用の一段化率は高く、ラル・ルとル系の動詞の一段化率は低い(これは他狂言記も同様)
  • 活用に揺れのある動詞がある
    • 四段・下二段の併存 おこされた / おこすれば
    • サ変が下二段的使用 進ぜたいか
  • サ変「す」の一・二段的未然形 きこへぬ事をしらるゝ
    • ラルが下接する場合に「し」、それ以外の未然形に「せ」となるようである
  • マス・マスルについては続で見られたマス多用の傾向が一層強まる
  • 下二段の四段化も見られる

注意すべき語

  • 「うけたまる」の例があり、「うけたまはる」の「は」の脱字か、「うけたまはる」のバリアントかが問題になる
    • 日葡にVqetamǒru, コリャードに uqetamotta の例がある
  • 「たのふ人」の例は「たのふだ人」であろうが、5例もあるので単なる誤脱とは認め難い
    • 音韻的に「だ」が脱落するのは想定しにくいが、「頼ぶ人」の例も他資料にないので、「だ」の脱落とみなすのが穏当か

狂言記拾遺』の位置

  • 続は正篇と次のように比較できた
    • 狂言記」としての共通的性格
      • 一段化の進行、ナラ・タラの多様、サ行イ音便の衰退
    • 舞台言語としての統一の傾向
      • シャルの減少、シタラバ・シタラの減少、オリャルへの統一
    • 近世の語法の取り入れ 下二段の四段化
  • これを踏まえて『拾遺』を位置付ける
    • 狂言記」としての共通的性格
      • 短呼形の使用、サ変未然形の「し」の使用
    • 続よりも傾向の強いもの
      • オリャルへの統一
      • マスの多用
      • ラ行下二段命令形のレ(くだされ)の多用

雑記

  • 狂言記シリーズ折り返し

北原保雄・小林賢次(1985)言語資料としての『続狂言記』(条件表現の節)

北原保雄・小林賢次(1985)「言語資料としての『続狂言記』」『続狂言記の研究』勉誠社 の、昨日の続き

仮定表現

  • この頃の順接仮定条件表現の重要な点3つ
    • 1 未然形+ばの衰退
    • 2 ならば・たらばの発達
    • 3 仮定の「已然形+ば」の発達
  • 1 未然形+ばの衰退については、多くがナラバ・タラバの例で、これに沿う
    • 未バの例はラ変と四段の数例しかない
    • なお、ズハ・ズバの両形が見られるが、これらは「ずは」「くは」が動詞の場合と同様の性格を持つようになったことを示すものである
      • をかずはなりますまい / をこさずばいころすぞ
  • 2 ならば・たらばの発達
    • タラとタラバは拮抗し、ナラはむしろナラバよりも多い。ナラが助動詞ナリの未然形であるという性格を脱して接続助詞になっていることを示す
    • 接続詞的ソレナラも多く見える
    • 上接語も広範(マイナラ、命令ナラ)であるが、「たならば」は用いられない(大蔵流はタナラバに統一される)
    • 小林(1979)も参照

hjl.hatenablog.com

  • 3 仮定の「已然形+ば」の発達は、虎明本と同様の状態にある
    • 虎明本においてすでに恒常条件の表現が発達し、仮定条件的性格へと発達する姿が認められる

接続詞

  • 特に仮定条件の接続詞について、サラバからソレナラバへの移行(虎明本と虎寛本の中間段階)が見える
    • その他、「その儀ならば」があり、改まった場所に使われるものなのに「その儀なら」もある点、「いかにも「狂言記」らしい」
  • その他、
    • 『拾遺』はソレナラの比率が上がる(これは時代の進行による)が、サアラバも見られる
    • 正篇のソンナラ(バ)、シタラ(バ)の例は正篇特有
    • 大蔵流においてサテハはスレバに交替するが、続はスレバ発達期の状態を示す

逆接確定条件

  • ケレドが2例、ケレドモが4例あり、ウ・タ・ナンダを承接する
    • 正篇ではマイ・ウがそれぞれ2例で、続はそれより承接関係が多様
  • ケレドモには以下の4段階があり、「狂言記」は次の2段階目に位置する。これは、已然形ドモの衰退と並行する(ガもまた逆接条件であることを明示する力に欠けたところがある)
    • 発生期(マイケレドモ・ウケレドモ)
    • 発達期1(タイケレドモ、形容詞ケレドモ)
    • 発達期2(すべての活用語ケレドモ)
    • 確立期

雑記

金麦糖質75%オフ、この類のものの中で言うとかなり飲みやすい

北原保雄・小林賢次(1985)言語資料としての『続狂言記』

北原保雄・小林賢次(1985)「言語資料としての『続狂言記』」『続狂言記の研究』勉誠社*1

要点

  • 『続狂言記』(1700刊)の言語的特徴について

四つ仮名・開合

  • 正篇同様乱れているが、ただ乱れているのではなく、一定の表記意識のもとにある
    • 正篇で「ぢや」とあったヂャは続では「じや」、オヂャルも「おじやる」と表記され、誤用が表記習慣として固定化している
  • 表記の特徴として、和語の「う」に「ふ」を当てる傾向がある
    • なふ、よふこそ、助動詞「ふ」「よふ」、瓜[ふり]盗人
  • ちなみに、「御」に「お」、格助詞には「を」を用い、これらは混用されない
  • 行阿仮名文字遣など、定家仮名遣の流布を背景として表記習慣が身についているものと考える(墨守しているわけではない)

連濁・連声・音便

  • 濁点の精細さは正篇同様で、清濁の確認に資するところがある
    • 正体(しやうだい)、三種[さんじゆ]の神器[じんぎ]など
  • 久うで(<て)きて のように、マバ行ウ音便を類推する例がある
  • ずは ずば の両形が存する
  • 連声は正篇に比して多くない
    • はいふん(配分)をしてやらふ
  • 音便は、マバ行にウ音便と撥音便が、サ行にもイ音便と原形が併存する
    • これは、大蔵流では虎寛本に至ってもサ行イ音便が受け継がれ「狂言らしく」なったのに対して、原形に回帰する近世の状況を表すものと言える
  • 合拗音は直音化しない
  • 短呼形は正篇ほどは見られない

条件表現

  • 長いので明日の記事へ

「ござる」「おりゃる」「おぢゃる」

  • ゴザルの祖形ゴザアル・ゴザナイの例は少ない
  • 近世に発達したゴザリマス(ル)も見られ、これも同様
  • オリャル・オヂャルは、『拾遺』に向けてオリャルへの統一の傾向がある
    • オリャル・オヂャルの否定はオリナイが主で、虎明本や虎寛本と共通する

活用体系

  • 二段活用の一段化は正篇と比べて低いが、狂言全体で考えると高い
    • 助動詞の場合にも一段化の例があり、可能動詞が一段で出ることも注目される
  • 下二段の四段化については正篇と大きく異なり、近世前期の体系を強く反映する
    • マス(ル)は終止形で基本的にマス、例外的にマスルという分布
    • 命令形も同様で、正篇はマセ<マセイ、続はマセ>マセイ
    • ル・ラルやル系のめさる・なさる・くださるにも同様に見られる

注意すべき語法や語句

  • 「しゃる」の多用
  • 「まい」の活用形「まいずれ」の例(「うずれ」に類推)
  • 「女郎」(=上臈)、正篇では「上らう」とあるもの
  • 「用所」(=用事・所用の意)、虎寛本では所用とあり、近世に消えつつ会った「用所」の例を留めるもの
  • 餓死[がっし](餓死を強めたもの)、虎明本などには「がしん」とあり、そちらが一般的
  • 案山子[かがせ]の初例
  • ほか、妻の呼称の「かか」や、をなあ(女)の例など

狂言記」における続狂言記の位置

  • 次の3点に集約される
    • 狂言記」としての共通的性格
      • 一段化の進行、ナラ・タラの多様、サ行イ音便の衰退
    • 舞台言語としての統一の傾向
      • シャルの減少、シタラバ・シタラの減少、オリャルへの統一
    • 近世の語法の取り入れ
      • 下二段の四段化

雑記

  • ダム放水の音をはじめて聞いたんですが、「サイレントヒル!」って感じでした

*1:序文によれば、本章は小林稿、北原統一による

北原保雄・大倉浩(1983)言語資料としての『狂言記正篇』

北原保雄・大倉浩(1983)「言語資料としての『狂言記正篇』」『狂言記の研究』勉誠社*1

要点

  • 版本『狂言記』(1660刊)の言語的特徴について

四つ仮名・開合

  • 四つ仮名・開合に混乱がある
    • 字[じ]がたりませぬ/ぢがたりませぬ
    • 連濁の場合ですら間違っており(みちずれ)、混乱が進んでいることを示す
  • 表記上習慣的になったもの(経[きやう]、高[かう])もあるが、これは音韻の反映ではない

連濁・連声

  • 濁点が精細に打たれているので、濁音・清音の違いを知る資料たり得る
    • まつだけ しんがう おをざか
    • おびたたし ろし(路次)
  • 連声はナ行が多く、タ行は少ない
    • ゆだんのさせまひ
    • 連声すべき理由がないのにしているものもあり、連声がむしろ生きた現象ではないことを示す
  • 「いたそ」「いお」「いの」のような短呼形がいくらかある

特殊な語句や語法

  • 初出に近い語を多く提供する
    • 仇(あたん)、あどない(形容詞)、うい(形容詞)、おこつ(御事)、かのさま(彼様)など、
    • ~やす、~わたい
    • 接助ので
  • その他、変わった語形に、異見(いつけん)、一所(いつしやう)、音す(おつとす)など
  • 変わった語法に、
    • 「ということ」の意の「と事」(鬼のあると事はぞんぜなんで御ざる)
      • 似たものに「なんとやう」「何といな」(<様な)
        • これは「みたいだ」(<みたやうだ)と同様の変化
      • 「と」が抜ける「(と)あつて」の例がある*2
    • 「何でかござるぞ」(「何でござるぞ」「何でかござる」とありたい)
    • 「てからは」(=たからは・た異常は)
    • そなたとおれと「か」おぢやらぬわいの。(=しか・ほか)
    • 已然形縮約の「立つりや」(<立つれば)
    • 助動詞ある(<やる)
  • これらは室町以前のものというより、江戸時代の歌舞伎や浄瑠璃のそれに通じるところが大きい

二段活用の一段化

  • 一段化率は延べ55%、異なり60%
  • 虎明本(4%)に比してきわめて高い
  • 上二段はいっさい一段化しておらず、これは江戸時代の一般的傾向(奥村三雄説)と逆である
  • なお、珍しいものに、一段化した已然形の例がある

活用の揺れ

  • 活用の揺れがあるものに、
    • 申さぬ・申すやう / 申せしやうは・申すれば
    • 遊ばする 許する 致する さっしゃるる 放する などの下二段的例
      • これは、二段活用動詞の連体形終止法の類推による(抄物の「見ゆるる」と同様)

雑記

  • O手門大学、ヤバいやん

*1:序文によれば「解説」はすべて北原稿

*2:室町の接続詞っぽい?