ronbun yomu

言語学(主に日本語文法史)の論文を読みます

福嶋健伸(2004.2)中世末期日本語の~テイル・~テアルと動詞基本形

福嶋健伸(2004.2)「中世末期日本語の~テイル・~テアルと動詞基本形」『国語と国文学』81(2)

要点

  • 中世末期のテイル・テアルは進行態を十分に表せる環境になく、動詞基本形がそこを補っている
  • その背景として、テイル・テアルにイル・アルの意味が残っていたことを想定

前提

  • これまでの研究におけるテイル・テアルの整理
    • 上接動詞はテイル・テアルともに自他の区別なく接続
    • テイルの主格名詞は有情物に限定、テアルは任意
      • すなわち、テイル・テアルは既然だけでなく進行も表すことを意味する
  • 「具体的な動作の進行態の確例が見られない」ことが指摘されていない
    • 進行態を表す例があることと、すべての動詞が進行態を表せることを分けて記述する必要があり、
    • 無標形である基本形との対立も扱うべきである

中世末期のテイル・テアル

  • 「歩いている」「折っている」のような具体的な進行態の例は、中世末期日本語にはなく、
    • 具体的な動きのない例(黙っている)か、既然態(立っているを引き据ゆる)
    • 進行態の例は発話に関する例のみで、他は確例とはいい難い
  • その領域は動詞基本形によって表されていた
    • 主節においてもそうであるし、
      • 評価的なニュアンスが強い(またおかしなことを言う)とは言えない例があり、テイルが現代より狭いことが根拠となる
    • (現代語ではテイルで表される)ウチニ節でも進行態が基本形で表される
  • これは、テイル・テアルに存在動詞の意味が残っていたために進行態を表せず、
    • テルの例がなく、過去の経験のテイルの例もない
    • テイルの主格名詞が有情物に限られるのもイルの特徴と一致
  • そこを動詞基本形が補って体系を形成していたと考えられる*1

雑記

*1:「テイル・テアルの表せる範囲の狭さを動詞基本形が補っていた」は現代の目から見た書き方で、この段階では単に完成・不完成の区別を持たなかっただけでは?とも思う

2019/06/23の作り置き

この記事は何

  • そこそこ効率的にできたのでブログにレシピを載せたくなった
  • 自分のムーブを最適化したくなった

結論を先取りすると

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  • 左上から、
    • 1 ナスの南蛮
    • 2 切り干し大根(小松菜入り)
    • 3 にんじんしりしりナムル
    • 4 モロッコいんげんのペペロンチーノ
    • 5 ズッキーニを塩コショウで焼いただけのやつ
    • 6 玉ねぎの焼きびたし
    • 7 たたききゅうり
    • 8 小松菜と油揚げの煮浸し
    • 9 きゅうりとワカメの酢の物
    • 10 ズッキーニの焼きマリネ
  • これを2時間で作る
    • コンロ3口、フライパン2枚、鍋1個

買い物と品目決め

  • 切り干し大根が食べたい、あとは適当に野菜を焼き浸すことだけを決めて、安い野菜を買う
    • 切り干し大根、油揚げ、にんじん、小松菜
    • ロッコいんげん、なす、ズッキーニ(バカでかかった)、きゅうり、ピーマン(使い忘れた)
  • 作るものを決める
    • いんげんは焼く(他の調理法を知らない)
    • ズッキーニは焼き、半分はマリネにしてみる
    • ナスは南蛮がおいしかったからまた作る
    • きゅうりはそのうち食べればいいか
    • 切り干し大根用のにんじんでもう一品
    • 切り干し大根用の油揚げと小松菜で煮浸し
  • 考える
    • 時間がかかること
      • 切り干しを戻す時間(20~30分)と煮る時間
      • ナスを焼く時間、ズッキーニを焼く時間
        • ナスを水にさらす時間も
    • まとめること
      • 切り干し用のにんじんと、他用のにんじん
      • いんげんの茹でと小松菜の茹で

下処理1

  • 2 切り干しを軽く洗って水につける
  • 塩を入れた湯を沸かして、
    • 4 いんげんを半分に切り、茹で、水揚げ
    • 2 8 小松菜の根を切って洗い、茹で、水揚げ
  • ケトルで湯を沸かして、
    • 2 8 用の油揚げを千切りにして、油抜き
    • お湯を使う系は早めに済ませておく
  • にんじん千切り
    • 2 切り干し用に千切り(スライサー)
    • 普通のキャロットラペにしようと思っていたが、3 しりしりにすることにしてピーラーで削る
      • しりしり用にんじんは塩もみして、しなっとしたらよく搾る

本調理1

  • 4 いんげんを調理
    • オリーブオイルににんにくひと欠け(スライス)と唐辛子一本(輪切り、ハサミでやると早い)で香り付け
    • よしなに炒めて塩コショウ
  • 2 切り干しを調理
    • 戻した切り干し(少し搾る)、にんじん、油揚げを軽く炒め、
    • 切り干しの戻し汁(飲むとうまい)と顆粒昆布だし(サボり)、醤油、みりん
    • ほどよく煮る

下処理・本調理2

  • 5 10 ズッキーニを2品に。縞状に皮を向いて輪切り
    • フライパン2枚にハーブオイル(ローズマリーとニンニクをつけてあるオリーブオイルがある)を敷き、両面焼く
    • これでも面積が足りず、やや時間をロスしている
  • 半分は塩コショウだけで焼く。蒸し焼きにしたほうがよかっただろうか?
  • マリネにする方は塩コショウせず、両面焼いたらマリネ液へ
    • オリーブオイル、酢、レモン汁、砂糖、にんにくチューブを入れた液
  • 本当はチーズと焼いたりしたらおいしいが、貧乏性でチーズが買えない

下処理3

  • 上の最中に、ナスを切って水にさらしておく
  • 冷蔵庫に玉ねぎがあることを思い出し、これを焼き浸すことにする
    • 2個をくし切りにする

本調理3

  • 6 玉ねぎを焼き浸す
    • 焼く(味が濃くなるので油は少ないほうがよいのでは?と思う)
    • 全体的に焦げ目がついたら、醤油・みりん・酒をあわせ、煮切れたら鰹節を混ぜてできあがり
  • 8 小松菜と油揚げの煮浸し
    • 切り干し用の鍋が空いているので作る
    • 小松菜、油揚げを軽く炒めて(油は不要)
    • だし汁、しょうゆ、酒で煮る
      • これはちゃんとお出汁をとったほうが断然おいしいので、切り干しの段階でサボったことを後悔する
  • 1 ナスの南蛮を作る
    • ナスをフライパンに敷き詰めて油をからめ(際限なく吸わないように)て焼く

下処理・本調理4

  • きゅうりで何かを作ることにして、9 ワカメの酢の物と 7 たたききゅうりを作ることにする
    • 縞状に皮を剥く(皮に栄養があるらしいのでついつい捨てずに食べてしまう)
    • 9 酢の物
      • 乾燥ワカメを戻す
      • スライサーできゅうりをスライスして塩もみ、水切り
      • 酢、砂糖とあわせる
    • 7 たたききゅうり
      • 袋にいれて叩き、ごま油、中華あじ、醤油、いりごま、一味、にんにくチューブ(いつもは酢も入れるが、酢の物とかぶるので入れない)
  • ナスを焼く間に 3 にんじんの味付け
    • 中華味のものがないので、ごま油、中華あじ(創味シャンタン)、いりごまを絡める

感想

  • まあまあおいしかった
  • 複数材料を組み合わせて複数品という発想に弱く、一品一材料になるのをなんとかしたい
  • 取り合わせ本ってすごい

福嶋健伸(2000.8)中世末期日本語の~テイル・~テアルについて:動作継続を表している場合を中心に

福嶋健伸(2000.8)「中世末期日本語の~テイル・~テアルについて:動作継続を表している場合を中心に」『筑波日本語研究』5

要点

  • 中世末期日本語のテイル・テアルには動作継続を表す例が少ない

前提

  • 中世末期日本語のテイル・テアルについてのこれまでの指摘
    • 上接動詞はテイル・テアルともに自他の区別なく接続し、既然だけでなく進行も表した
    • テイルの主格名詞は有情物に限定、テアルは任意
  • ただし、テイル・テアルが現代のテイル同様にすべての動作継続と結果継続を表したのかは明らかでない

中世末期のテイル・テアル

  • 結論:テイル・テアルはすべての動作継続を表したわけではなく、発話に関する例を除けば「動的な動作継続」の例はない
  • 以下の3種の場合において、いずれも、静的な動作継続か結果継続の例ばかりで、動的なものは「言う」など、発話に関する動作継続しかない
    • 1 テイル・テアルが終止法で現在の状態を表す場合
      • さればこそ是にふせつてゐる / いほがこしらへて有
    • 2 テイル・テアルが終止法で過去の状態を表す場合
      • 碁を見ていた / うち囲うであった
    • 3 テイル・テアルが非終止法で状態を表す場合
      • 弓をもつているに依て、 / 某がとうきて有に
  • この分布の偏りは、存在動詞イル・アルの意味が残っていたことによる

雑記

  • 論文を読んではいるが、まとめる元気がない
  • 結局読んだことを忘れてしまうのでこれはよくないと、思ってはいる

菅原範夫(1989.3)キリシタン版ローマ字資料の表記とよみ:ローマ字翻字者との関係から

菅原範夫(1989.3)「キリシタン版ローマ字資料の表記とよみ:ローマ字翻字者との関係から」『国語学』156

要点

  • ローマ字本キリシタン資料の誤字や翻字の偏りを手がかりに、以下の2点を指摘
    • ローマ字本は翻訳者と翻字者の手を経たものであり、
    • 翻字者は複数いる

前提

  • 天草版平家に帷幄(イアク)が fuivocu とある箇所があり、これはローマ字に翻字する翻字者が、翻訳者の漢字かな交じり文を誤読したものと考えられる
  • また、コンテムツス・ムンヂには満溢が manyeqi と誤読される箇所、 manyt と正しく読まれる箇所があり、翻字者が複数いたことを匂わせる
  • 以上を前提として、ローマ字翻字者と本文の関係を考えたい

翻字者の違い

  • 天草版平家では、まず以下の2点により、複数の翻字者がいたものと考えられる
    • イの i, j, y 表記が100ページ程度ずつに分布することが注目される
    • ク表記の cu, qu 表記がイ表記の偏りと同様に認められる
    • 具体的には、Ⅰ 巻1・巻2、Ⅱ 巻3、Ⅲ 巻4第1-11、Ⅳ巻4第12以降の4分割
  • 天草版平家以外にも偏りの見られるものがある
    • 『サントス』にカの qa 表記、qi que の使用、居るの i(通常はy)など
    • 『ヒイデス』も同様、拗長音のeô, iô偏り、活用語尾クの cu 表記(通常はqu)など
    • 『ムンヂ』にも偏りあり
  • 一方、『ドチリナ』『イソポ』『金句集』にはない。これは短編であったからだろう
    • なお、『スピリツアル修行』は大部であるが、2人分の分布しかない

誤読・同語異形の分布

  • 天草版平家において、上で見た翻字者の違いは誤読の違いにも現れる
    • 例えば、Ⅱは固有名の誤読があり、Ⅳは漢字を正しく読めない
    • 開合についても、Ⅱは開音の誤りが多く、Ⅲ・Ⅳは合音に誤るものが多い
    • Ⅰはその内部に誤用(Cyôbiǒye, Chôbiôye)と正用(Chǒbiǒye)が混在するが、初出の誤用が後出の箇所で訂正されている(「表記基準に同化している姿のようである」)
  • その他、語形にも揺れがあり、
    • 舌内入声音(xǒguat, xǒguachi
    • 弟(オトト・オトオト)、行く(イク・ユク)など
  • なお、これらの分布の偏りを口訳の違いとする清瀬説(二分説)、小池説(三分説)があるが、本稿は、同語を各自が異形で読んだものと考える
  • その他キリシタン版においても同様、以下略

雑記

  • QRコード決済のことバーコード決済って言うけど、「バーコード」に情報が変換されたコード的な意味が焼き付いてるんですね(バーじゃなければバーコードではない)

釘貫亨(1990.6)上代語動詞における自他対応形式の史的展開

釘貫亨(1990.6)「上代語動詞における自他対応形式の史的展開」佐藤喜代治編『国語論究2 文字・音韻の研究』明治書院

要点

  • 上代語動詞の自他対応に3つのパターンを見出し、より合理的な方向へと進んだものと推定する

上代語の自他対応

  • 上代語における自他対応は次の3つのパターン
    • 第1群 活用の種類による対応(四段知る・下二段知る)
    • 第2群 語尾による対応(なる・なす)
    • 第3群 語幹の増加・語尾付接による派生(荒る・荒らす)
  • 第1群は四段・下二段の並存によるものが多いが、かといって他の並存もあり、ここに一般的対立を見出すことができない
    • すなわち、語彙的意味の差異を普遍的文法形態に担わせることは難しいのであくまでも対立はそれぞれの語で決まるものとなり、記憶の負担が求められる
    • これらの動詞群において、第2群・第3群の対応・派生が認められる(寄す・寄る)ことも、第1群だけでは不十分であったことを示す
  • 第2群はル・スによる対応が多く、それ以外(誤る・誤つ)のものもあるが、ル=自動詞、ス=他動詞であることには例外がない
    • すなわち、第1群に比して合理的なものであるが、歴史的な先後関係は分からない
    • 以下の理由により、第1群が第2群に先行するものと考える
      • 第1群動詞に2音節動詞が多く、第2群において3音節動詞が多い
        • ただし、2音節動詞は同音衝突するためル・スの派生が行えない(ことが多い)ので、第3群の派生が求められたのであろう
      • 第1群動詞にル語尾・ス語尾のものが少ない
        • ル語尾動詞は特に3音節以上で自動詞的、ス語尾動詞は大多数が他動詞的であり、第2群から第1群の供給が少なかったことを示す
  • 第3群は第1群・第2群の問題を解決するものとして登場した
    • 例えば、枯る→枯す は同音衝突するが、 枯らす では起こらない
  • 以上の自他対応形式は、それぞれが歴史上の異なる段階において伝達要求に応じて出現したものと推定され、これは「当座の要求を充たすためだけのものであった」から、後発の対応形式が発達し得たし、全てが淘汰されるということもなかった

雑記

  • ご無沙汰してます

小林賢次(1995.2)「(言わ)んばかり」考:慣用表現の成立と展開

小林賢次(1995.2)「「(言わ)んばかり」考:慣用表現の成立と展開」『日本語研究』15

問題

  • ンバカリのンを打消のヌとして捉える立場と、推量のムとして捉える立場がある(前稿)が、どちらが妥当か
    • 湯沢説は、当初はムバカリであったが、江戸時代には既に打消のヌと考えられるようになった(ヌバカリ・ナイバカリの例あり)と見る
    • 此島説は、源氏の「泣きぬばかりにいへば」を引き、「死なないだけ」(ほぼ死んでる)の意と捉える

ヌバカリ説

  • 狂言台本、抄物にヌバカリの例があり、江戸時代初期にかけて特に「言はぬばかり」が慣用的に用いられ始めていたことが分かる
  • 近世中期に至って、「言う」以外の動詞も取るようになる
    • これらは全て、「しないだけで、したと同様の」の意
  • これを遡って行くと、
    • 言はぬばかりぞ(古今集)/きえぬ許ぞ(後撰集)など、比喩表現ではないものの、「しないだけ」と解釈でき、先行する表現とみなせる
    • 一方で、完了ヌ+バカリの例もあるが、やはりムバカリの例はない
  • ということで、問題となるのはヌが打消か完了かということになるが、ここで平家の「腹の内をあけて見ずといふばかりに」などの「ずといふばかり」に着目すれば、打消であると考えられる
    • 明治以降においてもヌバカリの例が目立ち、ンバカリ・ナイバカリも見られ、明らかに打消の意識で用いられている
  • この解釈が揺れる背景にはム>ンとヌ>ンの同音衝突が想定される
    • ム>ンは中古、ヌ>ンは室町頃生じたもので、
    • 仮名草子にはム・ンと書くべきところをヌと書いた例がある
    • 共通するンを媒介としてヌとムが混同するのは近世初期にも生じており、梵舜本沙石集にも同様の例がある
    • 慣用表現において、連体のムは「あらん限り」「せんかた無し」など、ンの形を取るが、打消のヌは「見知らぬ人」「あらぬ疑い」のようにヌのまま用いられるため、連体法のンがヌの意味を取りにくく、ンバカリが推量のように解釈されてしまうのであろう

雑記

小林賢次(1979.2)中世の仮定表現に関する一考察:ナラバの発達をめぐって

小林賢次(1979.2)「中世の仮定表現に関する一考察:ナラバの発達をめぐって」『中田祝夫博士功績記念国語学論集』勉誠社

要点

  • ナラバの上接語の種類の拡大という観点からナラバの発達過程を見る

前提

  • 院政期までのナラバは、
    • 活用語ナラバに完了性仮定(~タラバに相当)の用法が見られ始める
    • モノナラバの例がある
    • モノナラバには中古にも完了性仮定の例があり、活用語ナラバに先行するものであった
    • 加えて、コトナラバは非完了性のみ
  • これが、どのように拡張したかを見ていく

鎌倉以降のナラバ

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p.304-305

  • 形式名詞ナラバについて、
    • モノナラバは、鎌倉にツルモノナラバ、ヌルモノナラバなどが完了性仮定の用法として広がり、室町口語では衰退
    • その他、コトナラバは非完了性の用法が主であったが、虎明本には~タコトナラバが完了性として用いられる
    • ホドナラバは例が少ないが、婉曲的ニュアンス(~でもしたら)の意で用いられる
  • 助詞ナラバについて、
    • ニナラバ、ノナラバ、テナラバなど上接語の範囲が広がる(従来はトナラバのみ)
    • ゾナラバのように文全体を承接するものもある
  • 活用語ナラバについて、
    • 動詞+ナラバは既に院政期に完了性仮定の例があったが、室町にはより発達
      • 抄物では非完了性が多く、キリシタンでは完了性仮定が多い
      • 抄物では完了性仮定にはもっぱらタラバが用いられる
        • 過去・完了がタに収斂する中でナバは文語化したと考える
      • 咄本では完了性にタラバがあるが、国字本伊曾保(文語性が強い)ではタラバが見られないなど、やはり文体的な相違がある
    • 推量の助動詞を承接する場合があり、
      • かつては著聞集にベキナラバがあった程度だが、
      • 抄物には意志・推量の意を受けるウナラバ・マイナラバなど、上接語の種類が多彩に
        • 「其如ク仁ヲセソナラハ先仁ヲセン器ヲヨクスヘキ也」(東山本論語抄)など、文相当句を承接したものと見るべき
        • キリシタンには例が少なく、虎明本にはいわゆる「未来」の用法も見られる
    • さらに命令形ナラバ(~せよというのなら)の例があり、これもやはり文相当句の承接である
    • 文相当句の承接は、先行するナレバ・ナレドモ(文語的性格に留まる)には見られず、ナラバに見られるのが対照的

雑記