志波彩子(2018.4)ラル構文によるヴォイス体系:非情の受身の類型が限られていた理由をめぐって
志波彩子(2018.4)「ラル構文によるヴォイス体系:非情の受身の類型が限られていた理由をめぐって」岡﨑友子他編『バリエーションの中の日本語史』くろしお出版
以下の論文とセット(仮説補強)
以下の論文ともセット(シンポジウム)*1
要点
- なぜ非情の受身が発達しなかったか、また、なぜ急速に発達したのか
- 非情物主語の発達し得る領域に日本語は自発・可能構文を発達させたから
- 急速に発達したのは、ラル構文が受身専用化していたから
受身の分類に関して
- 志波(2005)の受身の分類は、直接・間接を親分類としない
- 有情主語受身(受影)
- 直接対象型:一郎にたたかれた
- あいての受身型:二郎に掃除を頼まれた
- 持ち主の受け身型:三郎に服を汚された
- はた迷惑型:四郎に本を読まされた
- 非情主語受身(自動詞化)
- 事態実現型(実現の局面を捉える):机が外に運び出された
- 状態型(結果状態の局面を捉える):階段に絵が飾られていた
- 有情主語受身(受影)
ラル構文
- 事態実現型の非情物主語受身、自発、可能は、非情物の対象を主語に立てる点で共通するが、
- ラルは無意志自動詞の活用語尾からの類推であるので「自然発生」の意を継承している
- が、それをメインとするなら、非情の受身こそが発達したはずだが、ラルが話し手の視点と強く結びついた構文であったために、そうはならなかった
- ラル構文の中心的機能は、有情者の話し手側から、自分に対して行為が自然発生したことを述べること、と考えれば、
- 自発:積極的な選択でない、何らかの要因で自分の行為が自然発生する
- 肯定可能:行為実現の期待はあるが意志はない、何らかの要因で自分の行為が自然発生する
- 否定可能:意志があれば通常実現する行為が、何らかの要因で自然発生しない
- 受身:自分の意志と関係なく、他者(何らかの要因)によって行為が自然発生する
- 非情の受身は文末でなく連体の位置で働く状態性の高い表現であったために動作主を捨象することができた
- 格体制について、自発・可能では視点が動作主にあるため、対象ヲ格、行為者主格でもOKだった。一方、受身は視点のある対象の有情者が行為者に対して主語性を強め、主格として安定した
(固有の)非情の受身
- 古代語の非情の受身はほとんどが状態型(叙景文)で、事態実現型はない
- 叙景文は、無対自動詞の穴を埋めるために自動詞相当で用いられたもの
- 状態型以外の非情物主語受身は、潜在的受影者がいるか、擬人化タイプ(→岡部2018)
- すなわち、受影受身構文的性質を持つ
- ここで、「なぜ状態型のみが自動詞化の非情主語受身として成立し得たのか」が問題となり、その理由として「状態型においては、視点を置く動作主が存在しない」ことを想定
- リ・タリに偏在することにより、特定の視点を持たず、中立的視点を持つ
- 非情物の行為者が明示される場合には状態性の高い構文だけでなく、より作用性・出来事性を帯びる文でも用いることができた
- 大きなる木の風に吹き倒されて
通言語的視点として
- 西欧諸言語が事態実現型の受身を発達させた領域に、日本語は自発・可能構文を確立させた
*1:土曜ことばの会 研究発表会「バリエーションの中での日本語史」シンポジウム「「非情の受身」の発達をめぐって」(2016年4月30日)