高山善行(2014.1)「条件表現とモダリティ表現の接点:「む」の仮定用法をめぐって」益岡隆志・大島資生・橋本修・堀江薫・前田直子・丸山岳彦(編)『日本語複文構文の研究』ひつじ書房
要点
- 「む」の文中用法の一つである仮定用法についての記述
仮定のムの位置付け
- 条件とモダリティの接点として、以下の2点が問題とされてきた
- 仮定条件節内でのモダリティ形式の生起(南や、近藤・高山の応用など)
- 現代語の条件節ナラ、タラ、レバ、トの内部にモダリティ形式は生起しにくい
- 古典語においても未然バ節内にモダリティ形式は生起しにくい
- 帰結部におけるモダリティ形式
- 仮定条件節内でのモダリティ形式の生起(南や、近藤・高山の応用など)
- 古代語特有の現象に、ムの仮定用法がある
- 見む人の心には従はむなむあはれにて、わが心のままにとり直して見むに、なっかしくおぼゆべき。(夕顔)
- ?明日来るだろう人 / ?雨が降るかもしれない日
- 節連鎖に関して、古代語では節ごとにマークしていく傾向があることを示す現象
- 見む人の心には従はむなむあはれにて、わが心のままにとり直して見むに、なっかしくおぼゆべき。(夕顔)
- 仮定のムに関する問題として、
- 仮定条件は通常未然バによって表されるのが普通だが、これの位置付けを考えたい
- ムニ・ムハによる節の記述分析が必要
- 助動詞ムの分析は文末用法に偏っており、文中用法は手薄
- 仮定条件は通常未然バによって表されるのが普通だが、これの位置付けを考えたい
ムニ節とムハ節
- 上代のムニ節は、順逆ニュートラルで、「「む」には「推量」の意味が感じられず、事態の未実現性の標識として働いているように見える。」
- 仮定条件:奥山の真木の板戸をとどとして我が開かむに[=私が開けたら]入り来て寝さね(万3467)
- タメニ節相当:妹があたり継ぎても見むに[=見るために](万91)
- 上代にはムハ節はない
- 中古のムニ節も、仮定・非仮定、順逆両方の例があるが、ムニハは特に仮定の解釈に傾く
- 仮定:院にも、ありさま奏しはべらむに、推しはからせたまひてむ(葵)
- 非仮定(理由):忍びてうち叩かせなどせむに[=と思いますから]、ほど離れてを
- 中古のムハ節にも仮定・非仮定の例があるが、ムニ節に比して仮定で解釈できる例の割合が高い
- これらのムは推量の意を持たない(高山2005*1の「非現実性の標識」)
仮定のムと未然バ
- 共通点
- 節が仮定的な意味を表す
- 後件に生起するモダリティ形式にム、ベシが多い(エビデンシャル系のメリ、終止ナリや、ム系であってもラム、ケムは生起しない)
- 差異として、ムニ・ムハは、
- 和歌で用いられにくい
- 後件で命令を表す例がない:聞き出でたてまつらば告げよ
- 節内部に「だに」が生起しない:今年よりだに、すこし世づきてあらためたまふ御心見えば、いかにうれしからむ
- 反事実条件(ましかば)を表す例がない
- それぞれの要因は、
- ムニ・ムハの解釈は文脈依存なので、音数律のある和歌では文脈の支えが得にくい
- 命令表現は指示内容が明示的でなければならないが、ムニ・ムハの解釈は文脈依存で非明示的
- 「だに」も同様、「だけでも~すれば」という条件の明示性を欠くために生起できない
- 漠然とした事態仮定では反事実を表しづらい。「反事実」のもとの事態は既定のものでなければならないから、ムの未定性と相容れない
- ムハが仮定解釈に大きく傾くのは、ニとハの差異による
- ニは接続助詞として節と節をつなぐだけに過ぎず、意味関係は文脈依存
- ハは係助詞として二分結合の働きを持つので、節と節との意味関係を明確化することができる
*1:「助動詞「む」の連体用法について」『日本語の研究』1-4