ronbun yomu

言語学(主に日本語文法史)の論文を読みます

瀬楽亨(2019.11)機能的談話文法における日本語の文法記述に向けて

瀬楽亨(2019.11)「機能的談話文法における日本語の文法記述に向けて」『日本語文學 (Journal of the Society of Japanese Language and Literature, Japanology)』87

要点

  • 機能的談話文法(FDG)の日本語への適用を考える
  • FDGのコミュニケーションモデルは以下の4つの部門から成る
    • 概念部門(Conceptual Component): 伝達意図(試験は赤点だったようです
    • 文脈部門(Contextual Component): 発話状況や会話参与者の社会関係など(あそこの[←男性であるから選択されている]、ごきげんだね)
    • 文法部門(Grammatical Component)
    • 出力部門(Output Component)

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p.66

  • 文法部門は以下の4つのレベルに分かれる
    • (1)対人レベル/(2)表示レベル/(3)形態統語レベル/(4)音韻レベル
    • 各レベルの表示は上位レベルの表示をもとに構築される
    • f:id:ronbun_yomu:20200724144713p:plain
      p.67
  • このうち、「対人レベル」の概念の有効性について考える。対人レベルは以下の4つの階層と<単位(unit)>を持ち、単位の情報はhead, modifier, operatorから構成される
    • 第一の階層:<ムーブ>(Move, 問いかけ・応答)
    • 第二の階層:<談話行為>(Discourse Act)
    • 第三の階層:<発話内行為>(Illocutionary Act)、<会話参与者>(Speech Participant)、<伝達内容>(Communicated Content)
    • 第四の階層:<帰属的な下位行為>(Ascriptive Subact)、<指示的な下位行為>(Referential Subact)
  • 対人レベルでの記述が見込まれる現象として、
    • <ムーブ>の層構造では、「要点をまとめると」が<ムーブ>に、「要するに」が<ムーブ>の主部である<談話行為>に関わるという基準で区別することができ、
    • <談話行為>の層構造では、「17日だっけ?」「、なんかライブが~」のような格助詞の非規範的な使用が<談話行為>に寄与する表現として捉えられ、
    • <発話内行為>の層構造では、「〜系」や「〜ぽい」などの「ぼかし」が、発話ない行為を弱める手段として指摘でき、
    • <下位行為>の層構造では、「激しく」の正確性指標としての用法(激しく正解でした)を<帰属的な下位行為>として記述できる
    • (詳しい議論は元論文参照)
  • (4節は層構造の形式化について)

雑記

  • 変化の記述にFDGが有効なんじゃないかと思う…夏休みだし勉強してみようかな
  • …と思い、しばらく一日一本ペースをやめて一記事に Kees Hengebeld 2008 FDG~ のことを書いていこうかなと思って今更気づいたのですが、
  • そもそも論文を要約(して紹介?)するのって法的にOKなんか?

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  • うーん……

衣畑智秀(2004.12)古代語・現代語の「逆接」:古代語のトモ・ドモによる意味対立を中心に

衣畑智秀(2004.12)「古代語・現代語の「逆接」:古代語のトモ・ドモによる意味対立を中心に」『語文』83

要点

  • 古代語で、トモは仮定条件、ドモは恒常条件と確定条件を表し、現代語で、テモは仮定条件・恒常条件、ケドは確定条件を表す。このことについて考える
  • 現代語のテモとケドは情報の処理単位によって形式が分化し(衣畑2005)、「仮定・確定といった意味的な分類には無頓着」である
    • テモは前件と後件が一つの処理単位で、ケドは前件と後件が独立した処理単位である(南1993のテモはB類・ケドはC類とする分類と対応)
    • 一方で、古代語のドモは連体節内(??呼ばないけど来てくれた人たち)にも現れるし、B類の用法も持つ
  • トモと仮定条件について考える
    • トモが「現実の事態」でも用いられる(大わだ淀むとも:万31)ことを「事実を仮定にしている」「強調」などと説明することがあるが、「テモが使われている」ことに基づくものであり、循環論法である
    • 「仮定条件」の指す範囲を考えるために、以下(5)のような「情報の仮定可能性」のスケールを設定し、
    • f:id:ronbun_yomu:20200722180334p:plain
      p.52
    • また、後件の要件として、前件の仮定から得られた情報でなければならない(前件の仮定の推論と無関係に真であるということはない)という制約があることを確認しておく
  • このように考えたとき、トモの前件は「仮定」の範囲に収まると考えられる
    • 言問はぬ木にはありとも(811)は前件が「聞き手」に属するが、これは「事実を聞き手を通して間接的に構成する」ことで仮定的に述べるもの
    • 「事実」とされる「大わだ淀む」も、擬人的な例かもしれず、どの例も後件は全て推論の結果である
  • ドモは恒常・確定とされるが、曖昧である
    • 巡り見れど飽かずけり(4049)はテモ相当だが一回的で「恒常」ではなく、
    • 梓弓引かばまにまに寄らめども後の心を知りかてぬかも(98)も「事実」という意味での「確定」ではない
    • ドモは前件と後件の対立を表しただけで、仮定・恒常・確定といった意味についても無標であったと考える
      • このように考えることで、「タトヒ戒ヲヤブレドモ」(三宝絵)のような例*1も、有標形式との対立が弱まったことによって説明可能

雑記

  • 毎週講義作ってるときはまだ無限に先があるように感じるのに、いつの間にか半年が終わっているのはなぜなのか

*1:「中世に見られる次のような例」としているが…?

衣畑智秀(2005.4)日本語の「逆接」の接続助詞について:情報の質と処理単位を軸に

衣畑智秀(2005.4)「日本語の「逆接」の接続助詞について:情報の質と処理単位を軸に」『日本語科学』17

要点

  • ノニ・ケド・テモを適切に記述するための枠組みを考えたい
    • 従来説はノニの「予想」とケド・テモの「予想」の差異を説明し得ない
  • 以下の概念を導入する
    • 「知識」(個々人の中の情報)と「文脈」(知識よりもより一般的な情報)
    • 処理単位(processing unit):新しい情報と既存の情報との関連性どの単位で処理するか、ここでは、「文全体が処理単位となって,文脈仮定を強化したり否定したりしている」と考える
  • ノニは知識を否定し、ケド・テモは文脈を否定する
    • 「雪が降っているのに父は出かけた」は、「雪が降っている→出かけない](ので、父も出かけない)という推論による個人的な知識を否定する
    • ノニ文の後件に意志・命令・推量が来ないのは、自分の知識で自分の知識を否定するのはあり得ないから
  • ケドとテモは情報の処理単位により形式が分化している
    • ケドは前件と後件が独立した情報であり、
      • ケドは前件だけで文脈含意の導出を行うことができる:太郎は経済学者ではないけど、ビジネスマンだ。
    • テモは前件と後件が一つの情報である
      • テモの前件には文脈仮定の機能がない:*太郎は経済学者ではなくても、ビジネスマンだ。
    • なお、古代語のトモ・ドモの対立は「仮定などの意味による対立」であり(衣畑2004)、ケド・テモは処理単位による分化である

    f:id:ronbun_yomu:20200722175321p:plain
    p.59

雑記

  • これすごく大事だな

next49.hatenadiary.jp

衣畑智秀(2001.12)いわゆる「逆接」を表すノニについて:語用論的意味の語彙化

衣畑智秀(2001.12)「いわゆる「逆接」を表すノニについて:語用論的意味の語彙化」『待兼山論叢 文学篇』35

要点

  • ノニとケドの差異2点に対する説明は「逆接」のカテゴリーでは十分に行えない
    • 違和感・意外感
    • 後件が既実現:雪が降っている{けど/*のに}でかけ{なさい/よう}
  • 結論先取り、「ノニは「逆接」というカテゴリーの一部を特殊化させたというよりも、違和感や不満を感じる、人の経験的側面を語彙の中に反映させている」
    • 丹羽(1998)の「前件・後件の対立」を、「話し手の知識(一般的な推論)と現実の事態」の対立であると考える
      • というのも、感情的な概念はノニ文に関係なくあるものであるから、条件文とは独立に説明しなければならない
  • 違和感・意外感・不満を一般化すると、
    • 推論による仮定(雪が降っている→出かけない)や期待(待ち合わせする→現れる)と現実は矛盾することがあり、その現実に対して人は意外感・不満を抱く
    • すなわち…

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p.24

  • 「この心的状態にあるときにノニ文が発話される」と考えたときに説明できること
    • 後件が既実現事態に限られるのは、違和感・意外感、不満を感じさせる事態が、既に成立している事態でなければならないから
    • 接続助詞用法とされてきたものは前件ノニによって、後件で違和感・不満を感じる事態として聞き手に提示する機能を持ち、
    • 終助詞とされてきたものもまた同様の帰納を持つが、発話者の態度、評価を表すニュアンスが強くなるものと解釈できる
    • 「違和感」類はノニでなくても提示できる(こんな早い時間に…、cf.田野村1989「述語省略文」)が、ノニは、「個々の語彙や文脈によって表現されるような語用論的な意味を、語彙の意味として定着させている」と言える

雑記

  • いいとも以来見てないもの…ノニジュース

森脇茂秀(2000, 2001)希望の助辞「もがな」「がな」をめぐって

森脇茂秀(2000.12)「希望の助辞「もがな」「がな」をめぐって(一)」『別府大学国語国文学』42 森脇茂秀(2001.3)「希望の助辞「もがな」「がな」をめぐって(二)」『山口国文』24

要点

  • シカ系・カシは「詠嘆的希望表現」から「主体的希望表現」へと変容することによって衰退していったと考えられる*1が、
  • モガ系はガナとなって近世まで残る。このことについて考える
  • 中世前期において、
    • 前代と同じ詠嘆的希望表現もあれば、
    • 中世語的な副詞句との呼応(あはれ~がな)もあり、
    • 不定語ガナ~。の副助詞的用法もある
  • 中世後期には「不定語+ガナ~」の副助詞的用法が主用法となる
    • 特に、「~ガナ~ウ」という共起が多い
    • この変化は、 ~かし。>さぞかし と並行的に捉えられる*2

雑記

  • よくわかんないと逆に読むのに時間かかったりする

*1:どういう因果?

*2:希求の方のカシじゃなくてゾカシ由来だから、これは違うだろう

酒匂志野(2002.7)源氏物語における複合動詞「~しそむ」の意味

酒匂志野(2002.7)「源氏物語における複合動詞「~しそむ」の意味」『国文』97

要点

  • 源氏を対象に、Vシソムのアスペクト的な意味について考える
  • 以下の観点から分類する
    • 「短時間の具体的な動作・変化」か「長期にわたる大規模で複合的な動作・変化・状態」か
    • 進展的(漸次的に変化する最初の状態)か持続的か
    • 動詞の限界性に基づくと、
      • 結果的な限界の自動詞/他動詞
      • 非結果的な限界の自動詞/他動詞
      • 無限界自動詞/他動詞
  • このように考えたとき、
    • 限界動詞がVソムを取ると、「大規模・進展的」になりやすい
      • 桜ほのかに咲きそめて/おのづからかばかりならしそめつる残りは、…
    • 限界動詞が持続的になる場合、おはす・来などの動詞に偏る
    • 無限界動詞は、全て大規模・持続的の用法になる
      • しかるべき方にもしもかゝにそめけむよ(一緒になってしまって)/また言ひそめては(返歌をし始めたら)
    • すなわち多くが大規模で抽象的な事態の始発であり、現代語のVハジメルが短時間の具体的な動作の始発(料理を作り始める)であることに比べると、対照的である*1

雑記

  • 「大学生のためのレポート講座」にキレてる大人たちが真面目すぎるのであって、そらお前適当やろみたいな課題の出し方、学生から聞く限りではめちゃくちゃある

*1:現代語では「3歳の頃、ピアノを習い始めた」「~頃から太り始めた」などは稀とある(p.86)が、これは「始める」側の問題というよりは資料とか発話場の制約によるのではないか。今の人はいちいち歴史を語らないし

小島聡子(1999.4)複合動詞後項「行く」の変遷

小島聡子(1999.4)「複合動詞後項「行く」の変遷」『国語と国文学』76(4)

要点

  • Vユクの意味変化について考える
    • ユクは空間の移動もしくは時間の移動を表すが、本動詞はほぼ空間の移動を表す
  • 調査、
    • 中古は時代が下るに従って、空間移動の意味で用いられることが少なくなり、時間的な過程の進行や継続を表すようになる
    • が、中世にはまた再び空間移動を表す用例が増えてくる
  • これは用例数の変化というより、何か質的な違いの現れであろうと考えられるので、前接動詞に注目すると、
    • 中古・中世共通のものに、
      • ア 移動とは関係ない並列(おもひゆく)
      • イ 移動の手段・様態(あゆみゆく、とびゆく)
      • ウ 動詞そのものが空間移動の意を含む(うつりゆく、かへりゆく)
    • 共通しないものを見ると、
      • アは中古>中世であり、アよりも補助的なイは中古<中世
      • 中世特有のものには(サ)ス・(ラ)ルが前接するものも多く、これもユクの補助動詞性の強まりの現れ
    • 中世の非空間的なユクは一部の資料に限定され、しかも通常の使用とは言い難い(すなわち、非空間的なユクは既に日常的表現ではなくなっていた)
    • なお、Vモテユクも全体として減少傾向にあり、意味もユク相当になって衰退してゆく
  • テユクについて、
    • 中古のテユクには空間移動の例しかなく、Vユクと意味は被らないが、中世のユクが空間の移動へと偏ることでテユクとも意味が近くなる
    • これがVイク>テユクの交替の契機となったか?

雑記

  • ちょっとさぼってしまった